橋本孝之

Takayuki Hashimoto

1954年生まれ。名古屋大学工学部卒業後、日本アイ・ビー・エム株式会社入社。米国IBMへの出向などを経て、同社代表取締役社長、取締役会長などを歴任。2015年より現職。

松尾清一

Seiichi Matsuo

1950年生まれ。名古屋大学大学院医学研究科博士課程修了。医学博士。専門分野は腎臓内科学。医学系研究科教授、医学部附属病院長、副総長などを経て、2015年より現職。日本腎臓学会理事長。

対談 日本アイ・ビー・エム株式会社 副会長 橋本孝之×名古屋大学 総長 松尾清一

変革への挑戦。

急激に変化する世界の中で、日本がその競争力を強化するには人類の未来に資する人材の育成とイノベーションの創出が欠かせません。

そうした時代を見すえ、名古屋大学では大胆な教育改革を進めています。

日本アイ・ビー・エム株式会社副会長の橋本孝之氏と松尾清一総長の対談では産学連携のあり方や名古屋大学が果たすべき役割について、有意義な議論がなされました。

今こそ従来の枠組みを壊すとき

松尾日本中でグローバル化、イノベーション創出が叫ばれる中、その戦略の核を担う国立大学には抜本的な改革や機能強化が求められています。産業界としてはどんなことを期待されますか。

橋本国立大学だからこそ産業界ができないことをリードしていただきたいと思っています。まず世界トップレベルの独創的な研究推進。次にオープンイノベーション。イノベーションというと新しい発明をするように思いますが、標準化という側面もあります。一対一ではなく、ある産業のサプライチェーンやバリューチェーンの中で標準化をリードする仕組みづくりは、国立大学こそ取り組まねばならないことでしょう。そして、専門性を基盤とした多様性のある人材の輩出を、私としては期待したいですね。

松尾私どもは大学の運営指針として、名古屋大学松尾イニシアティブ「NU MIRAI 2020」※1を掲げ、世界屈指の研究大学を目指して、5つのカテゴリーで活動を展開しています。このうち教育・研究・国際化・産学連携には従来から取り組んできましたが、2020年までに本当に実現するために、私は目標を具体化すると同時に、シェアドガバナンスを踏まえたマネジメント改革を加えました。すべての教職員が目的を共有すると、それぞれが力以上のものを発揮するものです。だからこそ組織改革や財務基盤の強化、多様化、コミュニケーションの促進なども同時に進めています。また、改革という点において、私は日本の大学の序列を変え、いつの日か全国制覇をしたいと思っています。本学の研究者がそれぞれの分野で、日本一、世界一になるという気概を持てるよう意識改革を進めていくつもりです。

橋本目標を掲げるだけでなく達成度合いを測る指標を置き、PDCAサイクル を回そうという意気込みが伝わってくる計画だと思います。ぜひ実行して、大学の中身やメンタリティを変えていただきたい。そして、従来の大学のヒエラルキーを壊していただきたいですね。

松尾18歳人口の減少など大学を取り巻く環境は厳しく、確かにピンチではありますが、世の中が変わろうとしているときだからこそ、チャンスを迎えているとも言えます。積極的に前に出る勇気と決断力を持ちたいと思っています。

イノベーションを起こすリーダー人材

松尾社会のニーズに応える人材を輩出するには、教育改革も重要な課題です。本学が育成したいのは、学術界でも産業界でも行政でも、橋本さんのように先頭に立って人を組織し社会を変えていくリーダーです。そういった人材形成の基盤に必要なのは、何のためにやるのかという志だと思います。その志も自分や組織のためではなく、人類の幸福や持続可能な世界に貢献したいと願う、for the publicの精神です。こうした志さえあれば、どんな状況でも対応できる人間になるのではないでしょうか。

橋本そうですね。おそらく20年後を見たとき、今、世の中にある仕事の半分ほどがなくなっていると思います。IT をはじめテクノロジーの進化によって、旧来の仕事がなくなり、新しい仕事が創出される中で、大学で学んだ知識が何十年も通用することはあり得ません。専門性は重要ですが、それだけではもう生きられない。多様性を受け入れて、柔軟に動けるリーダーを養成しなければなりません。専門性を縦軸とすると、常にチャレンジし続けるというような行動特性を横軸として、人間としての素養、幅を育てていくことも大切です。そのためには大学教育そのものが変わる必要があるでしょう。

松尾おっしゃる通り、今の教育では不十分です。専門性を深めていく過程で、ともすれば視野が狭まりグローバルな競争環境が見えなくなってしまう恐れもあります。それを構造的に改革しようと、手始めに情報学、工学、人文学において教育研究組織の再編※2を計画しています。

橋本情報学は弊社の専門分野でもあり、二つの観点から注目しています。一つは、ドイツのインダストリー4.0※3やアメリカのインダストリアルインターネット※4に見られるように、ITが横串を刺して新しい価値を生み出していく方 向に世界の産業が流れる中で、中部地方に製造業の集積はあっても情報産業の集積がないのは課題です。名古屋大学がそういう環境を整備して人材を輩出し、オープンイノベーションを行う意義は大きいと思います。将来はハードに依存した製造業だけでは生き延びられないことは明白であり、産業そのものの変革を支援していただきたいですね。もう一つは、医学、工学、人文学などすべてに関わる分野として、情報学が大学内の学問をつなぐ役割を果たすこと。これがうまくいけば、名古屋大学のブランド力そのものも向上していくのではないでしょうか。

松尾同感です。日本の情報学は、特にアプリケーションの分野でアメリカや中国に遅れを取っており、そこを認識した上で外部の意見を聞き、アメリカを視察するなど、より良い情報学部(仮称)をつくろうと全学で支援をしています。御社との連携も予定するなど、とても期待しています。

橋本情報学部(仮称)との連携では、人工知能、我々はコグニティブ・コンピューティング・システムと呼んでいますが、認知し学習するコンピュータ「IBM Watson」※5を活用する予定です。また、今後いろいろな分野でのイノベーションが予想されるIoTについて、大学の基礎研究を踏まえて、いわゆる実装、応用研究を支援していきたいと思っています。

世界を視野に入れた競争環境を

松尾国際性という点でも学生を鍛えていく必要があります。

橋本グローバルな世界で活躍するには、反面、自分のアイデンティティを明確にしなければいけません。それにはいろいろな体験が重要だと思います。名古屋大学は受入留学生3,000人、海外派遣日本人学生1,000人を目標とされていますが、学生同士がもっと交流することで多様なものを受け入れ、その中で新しい価値を生み出すような環境があると良いのではないでしょうか。学生が学ぶ目的を自覚し、自分を高めていけるように、大学が競争環境を用意し、それを教員が支えていく仕組みも必要だと思います。名古屋大学の学生には、世界がライバルだという意識を持っていただきたいですね。

松尾私も学生にはもっと冒険をして欲しいし、そういう環境を大学が提供することが大事だと考えています。その点で学生はもちろん、教員も異分野の人と交わることができる博士課程教育リーディングプログラム※6のコースは意味があり、大学教育に構造的に組み込んでいきたいと思っています。

橋本先日、リーディングプログラムの学生たちに、ニューヨークのIBMを見学していただきました。やはり若いうちに挑戦の場を与え、それを乗り越えさせる経験を繰り返すことが必要だと思います。

組織を成長させるダイバーシティ

松尾本学は日本の大学の中ではいち早く男女共同参画に取り組み、昨年、国連機関UN WomenのHeForSheキャンペーン※7において、本学の姿勢や女性リーダー育成の取り組みなどが国際的に評価され、男女共同参画を推進する「世界の10大学」に選出されました。今後もさらに活動を加速していく予定ですが、ぜひお聞きしたいのが御社のダイバーシティ戦略です。グローバル企業として、常に世界の先頭を走っていらっしゃいますね。

橋本弊社のダイバーシティの考え方には3つのステージがあり、現在、第3段階に入っています。第1段階は男女雇用機会均等法など法令対応を目的とし、第2段階はCSRの一環として多様性を受け入れる企業文化の醸成を図ってきました。第3段階は、多様性そのものが企業の成長に不可欠なものであると考え、相違から学んで成長し、企業の価値向上に資する環境をつくろうとしています。女性活躍推進のプロジェクトが始まった1998年以降、女性の採用比率・女性管理職の増加を目指して、組織の風土や人事施策を改革し、現在は障がい者、LGBT、外国人、ワーク・ライフ・インテグレーションの取り組みも進めています。IBM にとってダイバーシティはビタミン剤。これがなければ企業の成長はないと思っています。

松尾私は大学でダイバーシティを進めるためには、働き方そのものにメスを入れなければならないと思っています。欧米に比べ日本の企業は労働生産性が低いとされますが、大学も同様で、会議やゼミなどに追われ、人によっては朝から夜遅くまで働いている状況です。裁量労働制ではありますが、こんな職場は家庭のある女性に大変な無理を強いることになります。そこを変えたいと、まずは会議の半減からお願いしていますが、働き方や風土を変えるには管理職に女性がいることが重要だと実感しているところです。従来のままでは教育も研究も個人の裁量にゆだねられ、組織としての発展を鈍らせると感じています。

橋本企業も似たところがあって、日本では各社がすべてのプロセスで競争優位に立とうとし、標準化が進まない事態に陥っています。一方、ドイツのインダストリー4.0は、本来、競争優位でないことを標準化するわけです。ようやく日本でも動きが出てきたようですが、ドイツでは自動運転の地図を一つに決めてしまい、そのプラットフォームの上で各メーカーが競い合っています。会議の議事録など、ITを使って標準化できるものも多いはずです。標準化した上で、付加価値のある仕事をし、競争環境のステージを上げていくことが企業や大学、社会にとっても重要です。

産学連携によるイノベーション

松尾大学は知的成果を創出する拠点ではありますが、成果の創出だけでは世の中を変えることにはなりません。例えば携帯電話のように成果が実際に実用化され、普及して初めて世界を変えるイノベーションを起こすことができるのです。産学連携でイノベーションを起こすには、大学が橋渡し機関や実用化する企業と連続的につながっていくことが大事で、研究者が自分の役割を理解し、ここまで来たら次のステージに渡すという流れをつくる必要があると感じています。

橋本企業自身もビジョンを明確にし、それを大学と共有することが大切です。大学と何かをすれば無から有が生まれてくるわけではなく、産学連携の達成すべきゴールを明らかにしないと、結果的には小さなプロジェクトで終わってしまいます。大学と協働することで不足していた技術やソリューションを埋めていける仕組みや、人材が交流し同じ言葉で互いが話せるようになる環境が必要ではないかと思います。クロスアポイントメント制度を取り入れ、実社会と大学の研究がつながることも大事でしょう。イノベーションとは、インベンションとインサイト、発明と洞察です。これが揃って初めてイノベーションが起きるわけで、洞察は社会を見ないと出てこないと思います。例えば大学が保有する数多くの特許は、一つひとつは優れたものかもしれませんが、なかなかビジネスには結びつきにくい。それをつなぐためにも、企業の研究者も大学に行き、大学の研究者も企業に来る機会を増やしていかなければなりません。

松尾研究大学においては宇宙や素粒子のような基礎的な大発見も重要です。基礎から出口に近い分野まで、大学にある多様な研究をどうマネジメントしていくかが、執行部の仕事なのだと思います。ただ、社会のどこにマーケットがあり、そこにどんなイノベーションを持ち込んだらイニシアティブを取れるのかという部分で、企業ほどの情報を大学は持っていません。未来社会を現実的に描くという点でも、企業との連携は刺激になると思います。

橋本弊社の場合、 5年後10年後の技術がどう変わるかを展望するグローバル・テクノロジー・アウトルック、人口や気象など社会の推移を予測するグローバル・イノベーション・アウトルックをベースに戦略を組み立てています。総合大学である名古屋大学ならば、例えば中部の産業の未来はどう変わるかという未来白書を出してみてはどうでしょう。その中でいろいろテーマが出てくるかもしれません。

名古屋大学のバリューチェーン

松尾昨今、人文社会科学系が何のためにあるのかという意見もありますが、もしテクノロジーだけの世の中になってしまったら、それこそ未来社会をデザインする人がいなくなってしまいます。橋本さんのご提言の通り、そうした分野の研究者が協力して未来白書的なものを協力して進めたり、情報学や工学とも連携して、社会に貢献するプロジェクトを牽引することで、本学の人文社会科学系は真価を認められると思います。

橋本例えば、一つのテーマが防災です。古文書に記録された地震の発生場所や大きさなどを人文学で分析し、それを工学がコンピュータシミュレーションで再現する。それに対し、どう減災・防災ができるのか行動心理学からアプローチするなど、テーマを設ければつながりが生まれるのではないでしょうか。モンゴルの名古屋大学フィールドリサーチセンター※8ならば、現地の環境問題に対し、法律や技術の面で法学部や工学部が協力できるはずです。こういうバリューチェーンが出てくると、非常に面白いと思います。

松尾先日、モンゴルで同じ指摘を受けました。本学はモンゴルにモンゴル国立大学・名古屋大学レジリエンス共同研究センター※9を開設し、大災害に対して耐久度が高い社会をつくるための方策を研究しています。そこで先方から、レジリエンスとは建築や地震対策だけではなく、経済や法律、教育も関わるものであり、総合的に取り組みたいとお話をいただきました。本学は早くからアジアに進出し、各分野で既に多くの実績を残してきましたが、これからは重要な問題を学際的に現地の人たちと一緒に解決することが大切であり、それが我々の進むべき道であろうと思います。

橋本従来の方法に加えて、人工知能のような新しいテクノロジーを導入すると、新しいバリューチェーンができていくはずです。それを全体で編成できたら、名古屋大学はとても面白い大学に変わると思います。要素技術は、すべて大学内にあるのですから。

松尾おっしゃる通り、もう芽はあるんです。必要なのはマインドセットです。取り組みに価値があり自分の研究も発展するのだと研究者が気づけば、流れは大きく変わっていくはずです。実際、本学の中でも名古屋COI拠点※10やITbMのように、協働で活動しているプロジェクトに勢いがある。そこで、次なる成功事例を生み出そうとしています。一方で活動が活発になるほど、大きくなるのが財務の問題です。国の資金に頼るだけでは制約があり、自由に使える資金を持たなければ大学の成長はありません。アメリカには潤沢な基金から投資し、立案から1年というスピードで改変を成し遂げる大学まであります。そこまでは日本では難しいかもしれませんが、名古屋大学基金を強化し、大学の活動の基盤とすることも重要です。

橋本寄附する方は、お金を出してどんな効果があるのかを見ます。ですから、基金を使って何ができるかを明確にしなければいけません。また、基金の集め方もクラウドファンディングなどの方法もあり、ITを駆使すればいろいろなことができると思います。

地域・アジアの価値を高めるために

松尾最後に本学への期待をお聞かせ願えますか。

橋本中部地方を新しい時代へ導き、イノベーションを牽引するのが名古屋大学の役割です。産学官連携の中で、産業構造そのものの価値をより高めていくためには、最先端の研究は当然として、標準化も含めたオープンイノベーションを起こすことも必要でしょう。それによって競争そのもののレベルが上がっていくはずです。また、アジアとの連携を盛んに進められていますが、アジアそのものの価値を高めていく点でも、名古屋大学の役割は大きいと思います。各地のアジアサテライトキャンパス学院※11で名古屋大学のバリューチェーンを提供し、その国の課題を解き、成長を支えていかなければなりません。

松尾本学の責任を果たすために、ミッションの実現に向けて決意を新たにいたしました。後輩に対してもメッセージをいただけますか。

橋本地元志向が強い学生が多いので、「内なる殻を打ち破れ」と言いたいですね。私もIBMに入ってニューヨークに勤務し、世界を見て変わりました。若い人には、もっと世界を見て欲しいと思います。そのためにビジネスコミュニケーションツールとして英語力は、ぜひ身につけていただきたい。もう一つはイノベーションの共通言語であるITそのものを理解することも大事です。ITとは Information Technologyですが、私はInnovation Toolと解釈しており、全学でITのリテラシーを上げていただきたいと思います。「夢は無限、時間は有限」です。ぜひ何事にもチャレンジしてください。

松尾私も本学の教員、学生には、まず日本一になることを目指す気概を持って欲しい。そのためにリスクを恐れずに前へ出て行って欲しいと思っています。その一歩を名古屋大学はしっかりサポートしていきたいと思います。本日は貴重な提言を数多くいただき、ありがとうございました。

 

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(※1)
NU MIRAI 2020

(※2)
教育研究組織の再編
名古屋大学では2017年4月、工学部・工学研究科の改組、情報学部(仮称)・情報学研究科(仮称)の新設、人文学研究科(仮称)の新設を計画している。

(※3)
インダストリー4.0
ドイツ政府が第四次産業革命になぞらえて推進する戦略的プロジェクト。製造業の高度なデジタル化により、その様相を根本的に変え、コストの大幅削減を目指す。

(※4)
インダストリアルインターネット
アメリカの企業連合が中心となって進めている新しい産業への取り組み。ドイツのインダストリー4.0と同様の取り組みだが、エネルギー、ヘルスケア、製造業、公共、運輸の5領域を対象とする。

(※5)
IBM Watson
IBMが開発したコグニティブ・コンピューティング・システム。プログラム言語ではなく自然言語を理解・学習し、人間の意思決定を支援する。

(※6)
博士課程教育リーディングプログラム
文部科学省の事業。俯瞰力と独創力を備え、広く産学官にわたりグローバルに活躍するリーダーを育成するため、産学官が協力し、専門分野の枠を越えて博士課程前期・後期一貫した大学院教育を行う。名古屋大学では現在6つのプログラムが採択されている。

(※7)
HeForSheキャンペーン

(※8)
名古屋大学 フィールドリサーチセンター
2009年9月、博物館・環境学研究科を中心に、モンゴル科学技術大学内に開設。モンゴル国内のフィールド調査・教育支援のほか、最新の分析機器などの利活用や保守管理、利用希望者への技術講習を行っている。

(※9)
モンゴル国立大学・名古屋大学 レジリエンス共同研究センター
2016年2月、減災連携研究センター、環境学研究科を中心に、モンゴル国立大学と共同で同大学内に開設。災害や事件からしなやかに立ち直る力(レジリエンス)を高める総合的な方策のあり方を学際的に議論し、その実現を支える人材育成に協力する。

(※10)
名古屋COI拠点

(※11)
アジアサテライトキャンパス学院