生態学を専門とする国立大学法人東海国立大学機構 名古屋大学大学院環境学研究科の依田 憲 教授らのグループは、脳神経科学を専門とする同志社大学大学院脳科学研究科の髙橋 晋 教授らのグループと共同し、オオミズナギドリの雛を対象とした研究を開始しました。そして、空間や方位認知と関係が深いと考えられている内側外套と呼ばれる脳部位に着目し、そこでの神経細胞活動と頭が向いている方位との関連性を調べることにしました。まず、小型軽量かつ無線で脳活動を計測可能なニューロ・ロガーと呼ばれる計測装置を活用し、ネズミ(ラット、マウス)を対象として培ってきた電気生理学技術を組み合わせ、自由に歩行するオオミズナギドリの雛の脳活動を記録する手法を確立しました。
脳の中には、頭が特定の方位を向いたときに高頻度に活動する細胞が発見されています。この方向感覚を司る「頭方位細胞」はこれまでに、哺乳類、鳥類、魚類だけでなく昆虫の脳内からも発見されている、移動に深く関与する細胞です。この細胞は、脳内にあるコンパスのようですが、特定の方位(例えば北など)に偏っていないので、地磁気注1とは無関係と考えられてきました。ですが、これまでに頭方位細胞が発見されてきた動物種は、磁気感知能力を持たない、もしくは能力があっても磁気に頼らないだけなのかもしれません。
野生動物の海鳥、ハト、サケ、ウミガメなどのように、渡りや回遊と呼ばれる長距離移動を行うものは、地磁気を頼りに移動することが知られています。その中でも、繁殖地と越冬地の間を数千キロメートルも行き来する海鳥類は、目印のない海上を迷うこと無く移動します。その際、海鳥類は地磁気などを手がかりとして目的地にたどり着くという説があります。これまでの研究により、鳥類は眼の中に磁気を感じ取る物質をもっており、地磁気を見ることができるという説があります。また、ハトの脳内にある前庭神経核では、磁気を感知する細胞が発見されているため、鳥類の脳内には磁気感覚があるようです。
この前庭神経核は、頭方位細胞の活動に深く関与することが知られており、方向感覚と磁気感覚は、同じ神経核を共有していると考えられます。例えば、磁気感覚により目的地への方位である南がわかったとすると、その目的地へ向かうためには、頭の方向を南へ向けるという方向感覚との協調が必要になります。ところが、脳がそれら磁気感覚や方向感覚をどのように組み合わせて目的地へ向かうのか、その実体は未だ謎に包まれていました。
この課題を解決するには、研究分野を跨ぐ学際的な共同研究が必要です。しかし、これまで、ネズミ(ラット、マウス)などの実験動物注2を対象として神経活動を計測する神経科学者と、野生動物を対象として行動や生態を研究する生態学者の間には、ほとんど交流がありませんでした。そこで本研究では、文部科学省 科学研究費助成事業の学術変革領域(A)「サイバー・フィジカル空間を融合した階層的生物ナビゲーション」と新学術領域研究「生物ナビゲーションのシステム科学」からのサポートを受け、同志社大学と名古屋大学に所属する神経科学と生態学の専門家を結集し、従来の学術領域を越えて共同することで本研究に取り組みました。
本研究では、巣立ち注3直前のオオミズナギドリの雛を研究対象としました。オオミズナギドリは、日本や韓国、中国の島で繁殖する海鳥で、親鳥は子育てが終了するとフィリピンやインドネシア、オーストラリア北部へ渡ります。また、雛も巣立ち後、親とは別行動をとって同地域へ向かいますが、巣立ち後一ヶ月の間に半分以上の個体が死亡することがわかっています。オオミズナギドリは海面を薙ぐ(切る)ように水面すれすれを飛ぶことにより、頻繁に羽ばたかずに滑空移動することができます。そのため、基本的に陸上を飛ぶことはありません注4。これらの知見は、動物に超小型の機器を装着するバイオロギング研究によって得られました注5。
ところが2017年に新潟県の粟島の巣立ち幼鳥について、驚きの生態が発表されました。成鳥は本州を迂回して海上を移動していたのですが、巣立ちした幼鳥は本州上の険しい山を越えて太平洋に到達していたのです*1。海上飛翔に適応した形態や行動を備えているオオミズナギドリにとって、山越えを含む陸上飛翔は命を危険に晒す多大なリスクを伴います。実際、山越えの途中で落下して死亡してしまう幼鳥も多くいました注6。このことから、オオミズナギドリの幼鳥は、日本列島の地形についての知識がなく、成鳥のように陸地を迂回することができないこと、それにも関わらず南へ向かって真っ直ぐに渡ることが示唆されました。いったいオオミズナギドリは、何を見て、あるいは感じて、渡るべき方角へ飛翔するのでしょうか。
* 渡り鳥の脳内から頭が特定の方位を向いた時に活動するコンパスのような細胞を発見
* 渡り鳥の脳内コンパスは、北を好むことを発見
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注1:地球が持つ磁場
注2:研究用に室内で飼育されている動物
注3:飛翔できるようになること
注4: 例外は孵化から巣立ちまでの雛期と、雛に餌を与えるために島の上を短距離移動するときだけ
注5:オオミズナギドリは、世界的に見ても最もバイオロギング研究が進んでいる動物のひとつ
注6: ただし、年によって山越えのルートは異なり、あまり死なない年もある
本研究の成果は、2022年2月4日に、米科学誌Scienceの姉妹誌である「Science Advances」にオンライン掲載されました。
https://www.science.org/doi/10.1126/sciadv.abl6848
Takahashi, S. Hombe, T., Matsumoto, S., Ide, K., Yoda, K., “Head direction cells in a migratory bird prefer north”, Science Advances 8, eabl6848 (2022).
参考文献
*1 Yoda, K., Yamamoto, T., Suzuki, H., Matsumoto, S., Muller, M., Yamamoto, M., “Compass orientation drives na?ve pelagic seabirds to cross mountain ranges”, Current Biology, Vol. 27, PR1152-R1153, 2017.