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医歯薬学

2023.01.24

化学療法後に引き起こされる卵巣がん転移のメカニズムを解明

名古屋大学大学院医学系研究科ベルリサーチセンター産婦人科産学協同研究講座の那波明宏 特任教授、斉藤伸一 客員研究者(医療法人葵鐘会 研究開発部)らの研究グループは、同研究科産婦人科学の梶山広明 教授との共同研究において、化学療法に起因する卵巣がんの転移は、Mas 受容体※1 と呼ばれる分子を活性化することで抑制できる可能性があることを見出しました。

 

近年、化学療法※2 ががんの転移※3 を誘発する場合もあることが分かってきましたが、そのメカニズムはよく分かっていませんでした。今回、化学療法で用いられるシスプラチン※4 の副作用で腎臓の機能が低下した場合、本来は腎臓から排泄されているインドキシル硫酸(IS)※5 と呼ばれる毒素が血液中に蓄積し、IS の作用によって卵巣がんの転移が促進されるという仮説を立て、各種の検討を行いました。その結果、シスプラチンを投与したマウスでは腎臓の機能が低下することや血液中の IS 濃度が高くなることが示されました。また、IS を投与した卵巣がんモデルマウスでは腹腔内の広い範囲にがん細胞が拡がっていることが観察されました。さらに、IS による転移誘導の分子メカニズムについては、各種のがんの増殖やリンパ節転移に対して抑制的に働くことが報告されている Mas 受容体と呼ばれる分子に注目して検討を行いました。その結果、IS が卵巣がん細胞における Mas 受容体の発現を低下させることが分かりました。また、がんが転移する際には“浸潤※6”と呼ばれるプロセスを経ますが、IS は卵巣がん細胞の浸潤能を上昇させることが分かり、さらに、IS による浸潤能の上昇は Mas 受容体を活性化させることで打ち消されることが分かりました。

 

本研究によってシスプラチンによる卵巣がん転移誘導メカニズムの一端が解明されましたが、IS のような尿毒素は血流によって全身に運ばれるため、卵巣以外のがんに対する化学療法においても本研究成果を応用できる可能性があります。本研究成果は 2023 年 1 月 10 日に Nature Research の科学誌『Laboratory Investigation』の電子版に掲載されました。

 

【ポイント】

○ 近年の研究から化学療法ががんの転移を誘発する場合があることが分かってきましたが、そのメカニズムはよく分かっていませんでした。
○ 卵巣がんの化学療法で用いられるシスプラチンを投与したマウスでは、腎機能が低下するとともに、インドキシル硫酸が血液中に蓄積していることが分かりました。卵巣がんモデルマウスにインドキシル硫酸を投与したところ、卵巣がん細胞の、腹腔への転移が促進されることが分かりました。
○ インドキシル硫酸は卵巣がん細胞の浸潤能を上昇させることが分かりました。その際、Mas 受容体と呼ばれる分子の発現が低下していたので、薬剤で Mas 受容体を活性化させたところ、インドキシル硫酸による浸潤能の上昇が打ち消されることが分かりました。
○ 卵巣がんの化学療法を行う際、Mas 受容体を活性化させることで、化学療法後の卵巣がん転移を抑制できる可能性が示唆されました。

 

◆詳細(プレスリリース本文)はこちら

 

【用語説明】

※1 Mas 受容体:ヒト扁平上皮がん細胞株で発現しているタンパク質として発見され、レニン-アンジオテンシン系を活性化するタンパク質(=アンジオテンシン II 受容体)の構造に似ていることから、当初はがん原遺伝子と予想されていた。実際にはアンジオテンシン IIではなくアンジオテンシン-(1-7)と結合する受容体であり、レニン-アンジオテンシン系とは逆に、肺がん、乳がん、大腸がん、膵臓がんなどの増殖や転移に対して抑制的に働くことが報告されている。
※2 化学療法:点滴などによって抗がん剤を血流に乗せ、全身に拡がったがん細胞を攻撃する全身治療。手術や放射線療法などの直接的・局所的な治療と組み合わせることで治療効果が高まることが期待できる。
※3 転移:がん細胞が最初に発生した場所から移動して、遠隔部位で再びがんを形成すること。とりわけ卵巣がんの進行においては、腹膜播種(卵巣がん組織からがん細胞が剥がれ落ち、近接する体内の空間(=腹腔)に種を蒔いたように分散して転移したもの)が多い。腹膜播種は、手術で取り除くことができず、放射線治療も腹部全体に適応することは難しいため、治療の主体は化学療法となる。
※4 シスプラチン:重金属元素であるプラチナを骨格の中心に持つ抗がん剤。細胞内の核に入って DNA と結合することで、細胞分裂を阻害する。正常な分裂を起こせなくなった細胞では細胞死が起こる。がん細胞は普通の細胞より活発に分裂を繰り返しているため、がん細胞に対して特に高い効果を示すが、がん以外の細胞分裂が活発な組織(骨髄、毛根、消化管粘膜など)の細胞まで傷害してしまうことがしばしば問題となる。
※5 インドキシル硫酸:食べ物が消化されて生成されたアミノ酸が腸内細菌などによってさらに代謝されることで生成される。通常は腎臓から尿中に排泄されるが、腎不全など、腎機能が低下した状態では血液中に蓄積してしまい、脳卒中や心不全などによる死亡リスクを高めることがよく知られている。
※6 浸潤:がんが周囲の組織に入り込んでいくこと。原発巣から隣接する他の臓器に広がっていくので、転移の一つであるとも考えられる。

 

【論文情報】

掲雑誌名:Laboratory Investigation
論文タイトル:Indoxyl sulfate promotes metastatic characteristics of ovarian cancer cells via arylhydrocarbon receptor-mediated downregulation of the Mas receptor
著者・所属:Shinichi Saito1,2, Yoshihiro Koya1,2, Hiroaki Kajiyama3, Mamoru Yamashita2, Akihiro Nawa1,2
1: Bell Research Center, Department of Obstetrics and Gynecology Collaborative Research, Nagoya University Graduate School of Medicine, Tsurumai-cho, Showa-ku, Nagoya, Japan
2: Bell Research Center for Reproductive Health and Cancer, Medical Corporation Kishokai, Nagoya, Aichi, Japan
3: Department of Obstetrics and Gynecology, Nagoya University Graduate School of Medicine, Showa-ku, Nagoya, Japan5) Division of ALS Research, Aichi Medical University
DOI: 10.1016/j.labinv.2022.100025

 

English ver.
https://www.med.nagoya-u.ac.jp/medical_E/research/pdf/Lab_230124en.pdf

 

【研究代表者】

大学院医学系研究科 那波 明宏 特任教授