普通の金属は磁石に引き寄せられず、「常磁性体」と呼ばれます。常磁性体の内部では、金属の原子が持つ電子のスピンと呼ばれる性質がてんでばらばらの方向を向いています。一方、鉄やニッケルなどは磁石に引き寄せられ、「強磁性体」と呼ばれます。強磁性体の性質はスピンが同じ向きにそろうことで現れ、モーターやハードディスクなどさまざまな応用があります。さらに、電子のスピンがそろうものの、そろう向きが互い違いに反対のものがあり、「反強磁性体」と呼ばれています。反強磁性体は磁石に引き寄せられないので、外から見ると常磁性体と区別がつきません。
金属はこれまで、この枠組みで分類されてきましたが、最近、反強磁性体の中に奇妙な性質を示すものがあると予想されています。反強磁性体なのでスピンのそろう向きは互い違いに反対なのに、強磁性体の特徴も持つという変わり種です。この変わり種が持つ性質を「交代磁性」と呼んでいます。交代磁性体は「第三の磁性体金属」と呼ばれることもあります。
交代磁性には、有用な性質が期待されます。強磁性体の特徴を持つので、ハードディスクのような磁気デバイスに応用できる一方で、周辺に磁場があってもその影響を受けません。ハードディスクや磁気カードに磁石を置くと磁気記録が消える可能性がありますが、そういうことは起きず、安定に動作できるのです。
酸化ルテニウムはそうした交代磁性を持つ金属の候補です。これまでは金属が持つ電子のスピンがばらばらでそろうことがなく、磁性を示さない通常の金属とされていました。しかし2017年に非常に微弱ながらもスピンが互い違いに逆向きにそろう反強磁性磁気秩序を示す可能性が報告されたことをきっかけに、交代磁性体の有力候補として盛んに研究されるようになりました。最近では交代磁性体で予想される物性や、その前提となる反強磁性的な磁気秩序の存在を支持する報告が相次いでいる中で、我々は磁気敏感な素粒子ミュオンを用いてその磁気特性を調べ直しました。
その結果、反強磁性秩序が存在する可能性が極めて低いこと、すなわち酸化ルテニウムは従来知られている通りの常磁性金属であることを明らかにしました。これは今後の応用だけでなく、基本的な電子状態に関する理解を再検討する必要があることを意味しています。本研究は米国科学誌「Physical Review Letters」の注目論文 (Editors’ Suggestion) に選ばれました。
なお、ミュオン実験 (μSR ※1)は大強度陽子加速器施設 (J-PARC ※2) 物質・生命科学実験施設 (MLF) のミュオン科学実験施設 (MUSE) S1実験装置(ARTEMIS)にて、超純良試料 (※3) を用いて行われました。
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※1.μSR法
ミュオンはスピンという性質を持っており、スピンが磁場を感じるとスピンの向きが回転します。正の電荷を持つミュオンは約2.2マイクロ秒の寿命で崩壊し、陽電子を放出します。スピンの方向に陽電子が多く放出されるため、前後左右に飛んでいく陽電子数の違い (非対称度: ミュオンスピンの偏極度に比例) を測定することでスピンの運動が分かり、ミュオン近傍の局所的な磁場構造を調べることができます。このような実験手法をミュオンスピン回転・緩和・共鳴(?SR)と呼びます。今回の実験では酸化ルテニウム内でのミュオンの正確な位置を知ることが重要であるため、同物質中で水素の同位体として振る舞うミュオンの第一原理計算 (※4) によるシミュレーションも行われました。
※2.大強度陽子加速器施設 (J-PARC)
高エネルギー加速器研究機構 (KEK) と日本原子力研究開発機構が茨城県東海村で共同運営している大型研究施設で、素粒子物理学、原子核物理学、物性物理学、化学、材料科学、生物学などの学術的な研究から産業分野への応用研究まで、広範囲の分野での世界最先端の研究が行われています。J-PARC内の物質・生命科学実験施設 (MLF) では、世界最高強度のミュオン及び中性子ビームを用いた研究が行われており、世界中から研究者が集まっています。
※3.超純良試料
金属試料の純度や格子欠陥の少なさを表す純良度の指標の1つに、電気抵抗の測定から求められる残留抵抗比 (RRR: 室温の抵抗率を極低温の抵抗率で割ったもの) があります。これが大きい(=極低温の抵抗率が相対的に小さい)ほど純良性が高いことを意味する指標で、酸化ルテニウムでの過去の報告では200程度となっていました。今回の測定で用いた試料の残留抵抗比は図2に示すように、1500を超える値となっていて、純良性の極めて高い試料であることが分かります。また、試料に含まれるルテニウム原子の比率は理想値1に対して1.02(理想値とのずれは2%以内) と求められ、ルテニウム欠損のない試料であることも分かりました。
※4.第一原理計算
第一原理計算とは「もっとも基本的な原理に基づく計算」という意味で、物質中の電子同士、原子核同士、および電子-原子核間のクーロン相互作用から出発し、近似モデルによらず量子力学の基本法則のみに立脚した電子状態理論を使って電子分布を決め、物質の諸性質を計算することを指します。
Nonmagnetic Ground State in RuO2 Revealed by Muon Spin Rotation
M. Hiraishi, H. Okabe, A. Koda, R. Kadono, T. Muroi, D. Hirai, and Z. Hiroi
Physical Review Letter 132, 166702 (2024).
DOI: https://doi.org/10.1103/PhysRevLett.132.166702
大学院工学研究科 平井 大悟郎 准教授
https://mag.nuap.nagoya-u.ac.jp/member.html