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医歯薬学

2025.12.19

分子状水素はリスケ鉄硫黄タンパク質を標的にする―分子状水素の分子作用機構を解明―

【ポイント】

・分子状水素(H2)は、ミトコンドリア電子伝達系(ETC)(*1)複合体IIIのリスケ鉄硫黄タンパク質(RISP)(*2)を一次的な標的とする。
・H2の結合によりRISPは、ミトコンドリアのタンパク分解酵素LONP1による分解を受ける。
・RISPの喪失はミトコンドリアタンパク質と核タンパク質の不均衡を生じ、ミトコンドリア小胞体ストレス応答(UPRmt(*3)を誘導する。
・結果として生じるミトホルミシス(*4)(軽度のミトコンドリアストレスに対する有益な適応応答)が、H₂の治療効果である。
・このメカニズムは、様々な酸化還元マーカーや炎症マーカーに対するH₂の広範かつ時に矛盾した効果の説明を可能にする。

 

名古屋大学大学院医学系研究科分子遺伝学(旧 神経遺伝情報学)の根岸修人 学部生(現 血液・腫瘍内科学大学院生)、伊藤美佳子 講師、大野欽司 名誉教授(現 名古屋学芸大学教授)らの研究グループは、分子状水素(H2)はリスケ鉄硫黄タンパク質(RISP)を特異的に減少させることにより、細胞ストレス応答経路であるミトコンドリア小胞体ストレス応答(UPRmt)を誘導し、ミトコンドリアを活性化することを見出した。
これまでに、多様な病態に対するH2の効果がモデル動物とヒトで報告されてきた。しかし、その分子作用機構は十分に理解されておらず、初期からH2による作用機序は活性酸素種(ROS)(*5)の水酸化ラジカル(•OH)選択的還元が提唱されていた。研究チームはこのパラダイムに挑戦し、H2が特定の分子標的を持つ活性シグナル分子であることを示した。
研究は、H2存在下の培養細胞およびH2投与マウスの肝臓の両者で、H2はUPRmtを誘導するという観察から始まった。H2はマウス肝臓すりつぶし組織において、わずか2分間以内にミトコンドリア電子伝達系(ETC)複合体IIIの活性を正常の78.5%にまで迅速に抑制した。細菌・古細菌・一部の真核生物が持つヒドロゲナーゼ酵素とミトコンドリアタンパク質の進化的な関連性から、研究者らは鉄硫黄クラスターを持つRISPが標的であるとの仮説を立て実証した。H2はミトコンドリアのプロテアーゼであるLonペプチダーゼ1(LONP1)(*6)を活性化することにより、1時間以内に培養細胞のRISPの分解を促進することが示された。このRISPの一時的な喪失とそれに続くUPRmtの誘導は、今までの研究で観察されてきたH2の広範で時に矛盾した効果を理解するための包括的な枠組みを提供する。
本研究成果は、「Redox Biology」(2025年12月2日付電子版)に掲載されました。

 

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【用語説明】

*1)ミトコンドリア電子伝達系(ETC)
ミトコンドリアETCは、呼吸鎖としても知られ、ミトコンドリア内膜に埋め込まれた一連のタンパク質複合体であり電子伝達を行う。その主な目的は、酸化的リン酸化(OXPHOS)と呼ばれるプロセスで、細胞のエネルギーの大部分をアデノシン三リン酸(ATP)の形で生成することである。

 

*2)リスケ鉄硫黄タンパク質(RISP)
RISPは、ミトコンドリア電子伝達系(ETC)の複合体III(チトクロムbc1複合体としても知られる)の重要な構成要素である。その主な機能は、電子の伝達を促進し、ATP合成に必要なプロトン勾配の生成に寄与することである。

 

*3)ミトコンドリア小胞体ストレス応答(UPRmt
UPRmtは、ミトコンドリアがストレスや機能不全を経験したときに活性化される進化的に保存された適応シグナル伝達経路である。その主な役割は、ミトコンドリア内のタンパク質恒常性(プロテオスタシス)を回復し、ひいては細胞全体の健康を維持するための品質管理システムとして機能することである。

 

*4)ミトホルミシス
ミトホルミシスは、軽度で致死的でないミトコンドリアストレスの誘導が、協調的な適応応答を引き起こし、最終的に細胞や生物の健康、ストレス耐性、生存能力の向上につながる生物学的現象である。この用語は、「ミトコンドリア」を指す「ミト」と、「少量のストレッサーは有益だが、大量は有害である」という用量反応の概念である「ホルミシス」を組み合わせたものである。本質的には、「ミトコンドリアを殺さないものはミトコンドリアを強くする」という考え方である。UPRmtは、細胞内でミトホルミシスを達成される主要かつ最も重要な分子メカニズムの一つである。

 

*5)活性酸素種(ROS)
ROSは、酸素代謝の自然な副産物として形成される酸素を含む高反応性分子のグループである。ROSは非常に不安定で、細胞内の他の分子と容易に反応する。このグループには、フリーラジカル(ヒドロキシルラジカル(•OH)やスーパーオキシドアニオン(O2•⁻)のような少なくとも1つの不対電子を持つ分子)と非ラジカル種(過酸化水素(H2O2)のような)の両者が含まれる。

 

*6)Lonペプチダーゼ1(LONP1)
LONP1は、ミトコンドリアマトリックスに位置する高度に保存されたATP依存性セリンプロテアーゼである。LONP1はミトコンドリアのタンパク質恒常性(プロテオスタシス)を維持する。その主な機能は以下の通りである。
1. タンパク質分解活性:損傷した、誤って折りたたまれた、または凝集したタンパク質を選択的に分解し、それらの蓄積を防ぎミトコンドリア機能を維持する。
2. シャペロン活性:新しく合成され、輸入されたミトコンドリアタンパク質の適切な折りたたみと組み立てを助ける。
3. UPRmtメディエーター:UPRmtの主要な構成要素として、その活性化は、ストレスで損傷したタンパク質を除去し、それによって細胞の適応と生存(ミトホルミシス)を促進するために不可欠である。

 

【論文情報】

雑誌名:Redox Biology
論文タイトル:The Rieske iron-sulfur protein is a primary target of molecular hydrogen
著者:Shuto Negishia,†, Mikako Itoa,†, Tomoya Hasegawaa, Hikaru Otakea, Bisei Ohkawaraa, Akio Masudaa, Hiroyuki Minob, Tyler W. LeBaronc,d,*, Kinji Ohnoa,e,*
aDivision of Neurogenetics, Center for Neurological Diseases and Cancer, Nagoya University Graduate School of Medicine, Nagoya 466-8550, Japan
bDivision of Material Science (Physics), Nagoya University Graduate School of Science, Nagoya 464-8601, Japan
cDepartment of Kinesiology and Outdoor Recreation, Southern Utah University, Cedar City, UT 84720, USA
dMolecular Hydrogen Institute, Enoch, UT 84721, USA
eGraduate School of Nutritional Sciences, Nagoya University of Arts and Sciences, Nisshin 470-0196, Japan
These authors contributed equally to this work.

 

DOI: 10.1016/j.redox.2025.103952

URL: https://doi.org/10.1016/j.redox.2025.103952 

 

【研究代表者】

大学院医学系研究科 伊藤 美佳子 講師
https://www.med.nagoya-u.ac.jp/medical_J/laboratory/basic-med/advanced-med/moleculargenetics/