TOP   >   医歯薬学   >   記事詳細

医歯薬学

2021.06.30

マウス脳微小透析法の温故知新 ~神経伝達物質の濃度変化を1分ごとに観測し、ベイズ統計モデリングから単一マウスの時系列データ解析が可能に~

国立大学法人東海国立大学機構 名古屋大学大学院医学系研究科・高等研究院の財津 桂 准教授、川上 大輔 大学院生、国立研究開発法人 産業技術総合研究所 地質情報研究部門の井口 亮 主任研究員らの研究グループは、マウス脳微小透析法(脳マイクロダイアリシス法)1 と探針エレクトロスプレーイオン化タンデム質量分析(PESI/MS/MS)2を組み合わせ、自由行動下マウスの神経伝達物質 3の濃度変化を 1 分ごとに観測可能な技術を開発しました。また、単一マウスの時系列データ 4にベイズ統計モデリングによる状態空間モデル 5を適用し、1 匹のマウスから神経伝達物質の挙動を解析できることを明らかにしました。研究グループが 2016 年に開発した PESI/MS/MS は、前処理操作が不要で、必要試料量を数 µL まで減らすことが可能です。一方、脳内神経伝達物質の古典的回収法であるマイクロダイアリシス法は、脳内に埋め込んだ透析膜に灌流液(臓器の洗浄などに使用される液体)を低流速で流し、一定時間ごとに灌流液を回収して神経伝達物質の濃度変化を観察する手法です。今回、研究グループはマイクロダイアリシス法に PESI/MS/MS を組み合わせ、1 分ごとに回収した灌流液を分析することで、神経伝達物質であるグルタミン酸とγ-アミノ酪酸(GABA)の脳内濃度変化を 1 分ごとに観測できる技術を開発しました。本技術の実用性を評価するため、カリウムイオン誘導脱分極 6の前後でマウス線条体 7のグルタミン酸および GABA の挙動を観察しました。単一マウスから得られた時系列データに対して、ベイズ統計モデリングを用いた状態空間モデルを適用した結果、従来の統計解析手法を用いずに、たった1 匹のマウスからでも脳内神経伝達物質の挙動を解析できることが明らかとなりました。今後、本手法をアルツハイマー病モデルマウスやパーキンソン病モデルマウスなどに適用すれば、各病態における脳内神経伝達物質の挙動をより詳細に解析することができ、新たな病態機序の解明や治療薬の応答性評価などに繋がることが強く期待されます。本研究成果は名古屋大学研究強化促進事業 若手新分野創成研究ユニット・フロンティア(in vivo リアルタイム・オミクス研究室、代表研究者:財津 桂)および国立研究開発法人 産業技術総合研究所の共同研究に基づくものであり、令和 3 年 6 月 30 日付で国際分析化学誌 「Talanta」 オンライン版に掲載されました。
なお、本研究は日本学術振興会 科学研究費補助金 基盤研究(S)「新生児脳におけるニューロン新生とその病態:先端分析技術による統合的理解」(代表研究者:澤本和延)および基盤研究(B)「リアルタイム質量分析による生体マウス脳の時空間メタボローム解析法の開発と実証評価」(代表研究者:財津桂)の支援を受けて実施しました。


【ポイント】

○ 古典的手法であるマイクロダイアリシス法に、探針エレクトロスプレーイオン化タンデム質量分析とベイズ統計モデリングを組み合わせることで、有用性の高い技術に昇華させることに成功した。
○ 本手法を用いると、マウス脳内の神経伝達物質(グルタミン酸と GABA)の濃度変化を 1 分ごとに観測でき、従来よりも 10 倍以上詳細に脳内での濃度変化を観察できる。
○ 従来、マイクロダイアリシス法では複数匹のマウスの結果を平均化して統計処理していたが、本手法の開発によって、1 匹のマウスからでも脳内神経伝達物質の挙動を解析できる。
○ 今回開発した手法を脳病態モデルマウスに応用すれば、従来法では捉えることの出来なかった病態メカニズムの解明などにつながる。

 

◆詳細(プレスリリース本文)はこちら


【用語説明】

1. 微小透析法(マイクロダイアリシス法):微小透析膜のついたプローブをマウスの脳内などに外科手術で埋め込み、人工脳脊髄液などを灌流して神経伝達物質などの脳内分子を回収する方法。自由行動下のマウスから脳内分子を回収し、脳内での挙動を観察できることが特長。
2. 探針エレクトロスプレーイオン化タンデム質量分析(PESI/MS/MS): 探針エレクトロスプレーイオン化法 (Probe Electrospray Ionization) は、2007 年に山梨大学の平岡賢三 教授が開発したイオン化法であり、先端直径 700 nm の微細針を用いて試料の採取とイオン化を行うことが可能である。タンデム質量分析 (MS/MS)は、質量分析計の質量分離部に「四重極型」と呼ばれる質量分離部を直列に 3 つ接続した装置で行う分析手法を指す。MS/MS により二段階の質量分離が可能となるため、イオン化した対象成分の特異的な検出が可能である。PESI と化合物の同定能力の高いタンデム質量分析(MS/MS)を組み合わせることで、前処理操作を行うことなく、臓器内の対象成分を直接検出することが可能である。2016 年に財津准教授らの研究グループが PESI/MS/MS を用いた代謝物分析法を世界で初めて報告した。
3. 神経伝達物質:神経細胞の軸索末端から放出され、標的とする細胞の興奮や抑制を伝達する化学物質のこと。興奮性の神経伝達物質としてグルタミン酸、抑制性の神経伝達物質として GABA が有名である。
4. 時系列データ:一定時間ごとに得られた測定値を時間的な順序に沿って並べたデータを指す。相互の測定値間に統計的な依存関係が認められることが多いため、一般的に取り扱うデータとは異なり、時間軸に沿って並んだ順番を考慮したデータ解析が必要である。
5. ベイズ統計モデリングによる状態空間モデル:ベイズ統計学に基づいてモデリングを行う手法のうち、時系列データに状態方程式と観測方程式を適用し、将来のある時点における観測値とその変動幅を予測するモデルを指す。
6. 脱分極:細胞膜内外の電位差(膜電位)が、細胞内にナトリウムイオンなどが流入することによってプラスの方向に変化すること。
7. 線条体:大脳基底核の主要な構成要素の 1 つであり、運動機能等への関与が知られている。大脳皮質からはグルタミン酸が放出されて線条体を興奮させることが知られており、線条体の 90%を占めるとされる投射ニューロンである medium spiny neuron は GABA を伝達物質とする抑制性ニューロンであり、直接路と間接路にわかれるとされる。

 

【論文情報】

掲雑誌名:Talanta
論文タイトル: Rapid quantification of extracellular neurotransmitters in mouse brain by PESI/MS/MS and longitudinal data analysis using the R and Stan-based Bayesian state-space model
著者:Daisuke Kawakami a,b, Mitsuki Tsuchiya a, Tasuku Murata b, Akira Iguchi c, Kei Zaitsu a,d,*
所属:a Department of Legal Medicine & Bioethics, Nagoya University Graduate School of Medicine, 65 Tsurumai-cho, Showa-ku, Nagoya, 466-8550, Japan
b Shimadzu Corporation, 1, Nishinokyo-Kuwabaracho Nakagyo-ku, Kyoto, 604-8511, Japan
c Geological Survey of Japan, National Institute of Advanced Industrial Science and Technology (AIST), Tsukuba, Ibaraki, 305-8567, Japan
d In Vivo Real-time Omics Laboratory, Institute for Advanced Research, Nagoya University, Furocho, Chikusa-ku, Nagoya, 464-8601, Japan
DOI:https://doi.org/10.1016/j.talanta.2021.122620
English ver.
https://www.med.nagoya-u.ac.jp/medical_E/research/pdf/Tala_210630en.pdf

 

【研究代表者】

大学院医系研究科/高等研究院 財津 桂 准教授

https://kzaitsu.wixsite.com/website
https://researchmap.jp/kei_zaitsu