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医歯薬学

2021.08.02

既存の抗がん剤と異なるレセプターを標的とした新しいがん治療抗体医薬 ~がん細胞の転移を促進する CHRNB2 を狙い撃つ分子標的治療薬の開発~

国立大学法人東海国立大学機構 名古屋大学大学院医学系研究科消化器外科学の小寺 泰弘(こでら やすひろ)教授、神田 光郎(かんだ みつろう)講師の研究グループは、転移のない胃がん患者と実際に転移を起こした胃がん患者からそれぞれ得た生体試料を用いて、ほぼ全ての既知の遺伝子とそのスプライシング産物※1 を対象に 57749 種類の分子の網羅的遺伝子発現解析を行い、腹膜播種転移、血行性転移※2、リンパ行性転移を起こした患者群の全ての群で cholinergic receptor nicotinic beta 2 subunit (CHRNB2)という受容体が異常に高発現していることを発見し、ゲノム編集技術※3 でこれを喪失させることで胃がん細胞の転移に必要な能力を低下させることを明らかにしました。この受容体を特異的にブロックするモノクローナル抗体※4を、胃がん細胞を移植したマウスに投与することにより、がんの進行を抑制することができました。
胃がんは全世界で罹患数・死亡者数の高い疾患です。胃がんによって生命の危機にさらされる原因は、腹膜、リンパ節、肝臓などへの転移です。胃がん治療成績を向上させるためには、転移を制御することが重要ですが、既存の抗がん剤の効果は限定的です。別の角度からがんを攻撃できる、新しい作用メカニズムをもつ分子標的治療薬※5のニーズが高まっています。本研究グループは、全く新しい
メカニズムからがん細胞を攻撃する新規分子標的治療薬の開発を目指して、転移を伴う胃がんで特徴的に高発現している分子を探しました。次世代シーケンサーを用いた網羅的遺伝子発現解析の結果、CHRNB2 という細胞膜にある受容体が転移を伴う胃がんの組織中で異常に高発現していることを発見しました。この CHRNB2 をゲノム編集技術を用いて胃がん細胞株から人為的に喪失させると、細
胞の増殖する能力のみでなく、がんが転移するために重要とされるさまざまな能力(浸潤する能力、移動する能力、接着する能力)が著しく低下することが明らかになりました。その背景として、CHRNB2 の喪失により PI3K-AKT シグナルや JAK-STAT シグナルといった、がんの悪性度に強く関与する細胞内シグナルが不活性化していることが分かりました。マウスの皮下に胃がん細胞を注入すると腫瘍が形成され徐々に増大しますが、CHRNB2 の発現を喪失させた細胞ではほとんど増大しませんでした。この結果から、CHRNB2 を阻害することががんの治療に応用できると考え、この受容体を特異的にブロックするモノクローナル抗体を合成しました。腹腔内にがん細胞を移植したマウスに対して抗 CHRNB2 モノクローナル抗体を腹腔内投与することにより、胃がん転移の進行を抑制することができました。人工的に CHRNB2 発現を喪失させたマウスの解析では、生殖、発育、臓器機能、運動認知機能に異常がないことが明らかとなっており、この受容体を阻害することで神経機能や臓器に重大な影響を与える危険性は低いと考えています。
抗 CHRNB2 モノクローナル抗体は、既存のがん治療薬と異なる、完全に新しい作用メカニズムを持つ治療法となります。さらに実際の胃がんの組織で CHRNB2 発現の有無を評価することもできており、免疫染色法によるコンパニオン診断法により CHRNB2 を発現している胃がんを選別することで、効率的に抗 CHRNB2 モノクローナル抗体を用いた治療を行うことが期待されます。CHRNB2は胃がんの他にも、大腸がん、肺がん、乳がん、膵がんなどでも一定頻度で高発現しており、将来的には胃がんのみならず他のがんにも応用していくことを目指しています。
本研究成果は、英国科学雑誌「Oncogene」(2021 年 7 月 30 日付けの電子版)に掲載されました。


【ポイント】

○ 実際に転移を起こした胃がんの生体試料を用いて 5 万種類を超える分子の発現を網羅的に解析し、あらゆる転移形式のがんで異常高発現する受容体 cholinergic receptor nicotinic beta 2 subunit (CHRNB2)を発見しました。
○ ゲノム編集技術でがん細胞から CHRNB2 を喪失させることにより、がん細胞の転移に必要な能力が著しく低下しました。
○ CHRNB2 を特異的に阻害するモノクローナル抗体によって、がん細胞を活性化する細胞内シグナルが抑制され、がんを移植したマウスにこの抗体を投与することでがんの増殖を止めることができました。

 

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【用語説明】

※1 スプライシング産物
同じ遺伝子をもとにして作られる、複数の転写産物のことです。これにより、遺伝子に設計された情報よりも多くの mRNA、蛋白が作られていきます。
※2 血行性転移
がんの転移の最も大きな原因で、血管の中にがん細胞が入り込み、血液の流れに乗って全身の臓器に転移するものです。胃がんをはじめとする胃腸のがんは血行性転移先として肝臓が多いですが、肺、脳、骨にも転移することがあり、生命を脅かします。
※3 ゲノム編集技術
最新の遺伝子技術で、狙った場所の遺伝子を変化させることで、特定の遺伝子発現を増やしたり減らしたりできます。今回はこの技術を用いて、cholinergic receptor nicotinic beta 2 subunit (CHRNB2)の発現を喪失させた細胞を人工的に作り出しました。
※4 モノクローナル抗体
免疫系の細胞が特定の抗原(今回は CHRNB2)を認識して、これに結合する抗体というタンパク質を産生します。単一の抗体産生細胞を作成・培養して得られた抗体をモノクローナル抗体といいます。
※5 分子標的治療薬
がんなどの治療において、その病気に特有あるいは過剰に発現している特定の標的分子を狙い撃ちにしてその機能を抑える薬剤の総称です。がん細胞のみを攻撃することで、より高い治療効果とより少ない副作用を併せ持つ治療法として期待されています。

 

【論文情報】

掲雑誌名:Oncogene
論文タイトル: Blockade of CHRNB2 signaling with a therapeutic monoclonal antibody attenuates the aggressiveness of gastric cancer cells
著者:Mitsuro Kanda,1 Dai Shimizu,1 Shunsuke Nakamura,1 Koichi Sawaki,1 Shinichi Umeda,1Takashi Miwa,1 Haruyoshi Tanaka,1 Yoshikuni Inokawa,1 Norifumi Hattori,1 Masamichi Hayashi,1 Chie Tanaka,1 Goro Nakayama,1 Yohei Iguchi,2 Masahisa Katsuno,2 and Yasuhiro Kodera1
所属:1Department of Gastroenterological Surgery, Nagoya University Graduate School of Medicine, Nagoya, Japan
2Department of Neurology, Nagoya University Graduate School of Medicine, Nagoya, Japan
DOI:10.1038/s41388-021-01945-9
English ver.
https://www.med.nagoya-u.ac.jp/medical_E/research/pdf/Onco_210730en.pdf

 

【研究代表者】

https://www.med.nagoya-u.ac.jp/surgery2/scientific/