数物系科学
2025.05.20
レプトンのふるまいはどれも同じか? 素粒子の崩壊にひそむ関係性を数式で解明
名古屋大学素粒子宇宙起源研究所(KMI)/高等研究院の井黒 就平 特任助教(研究当時:兼KEK特別助教/クロスアポイントメント)、高エネルギー加速機研究機構(KEK)素粒子原子核研究所の遠藤 基 准教授(兼KMI特任准教授/クロスアポイントメント)らの研究グループは、「レプトンフレーバー普遍性の破れ」注3)を検証するための厳密な関係式を新たに発見しました。
素粒子物理学の標準模型は自然界の基本粒子とその相互作用を統一的に記述する理論として高い精度で検証されてきましたが、標準模型では説明できなさそうな現象も存在します。近年注目されているのが、電子やミュー粒子、タウ粒子といったレプトンのふるまいが種類によらず同じであるはずという「レプトンフレーバー普遍性」という性質が保たれていない可能性です。なかでもボトムクォーク(b)注4)がチャームクォーク(c)とタウ粒子(τ)、ニュートリノ(ν)に崩壊する現象注5)において、理論の予測と実験による測定結果の間にずれが報告されています。
本研究では、このような現象に関連して経験的に知られていた複数の粒子の崩壊率の間に成り立つ「和則(sum rule)」の理論的な背景を、重いクォークの対称性という観点から解明しました。とくにΛbバリオン注6)とB中間子の崩壊を結ぶ厳密な関係式を導出し、将来の高精度実験における理論と観測の照合を助ける新たな枠組みを提示しました。
本研究成果は、2025年5月15日(日本時間)付『Journal of High Energy Physics (JHEP)』に掲載されました。
・素粒子標準模型注1)の前提のひとつに「レプトンフレーバー普遍性」があり、電子などの電荷をもつ「レプトン」3種は、質量の違いはあるものの、同じように素粒子反応すると考えられている。しかし近年、この前提に反する兆候が一部の粒子の崩壊過程で観測されており、その動向が注目を集めている。
・素粒子反応ではさまざまなパターンの崩壊が起こるが、その崩壊の割合の間には「和則(sum rule)」とよばれる経験則が知られている。本研究では、この和則の背景に重いクォークの対称性注2)が潜んでいることを突き止め、異なる崩壊の和則の間に成り立つ厳密な関係式をはじめて理論的に導出した。
・この関係式は、異なる粒子の崩壊現象の整合性を理論的に検証する新たな枠組みを提供し、標準理論の精密な検証と今後の新しい物理の探索に役立つ重要な基盤となる。
◆詳細(プレスリリース本文)はこちら
注1)素粒子標準模型:
物質を構成する基本粒子と、それらの間にはたらく3つの力を統一的に記述する理論体系。これまでの多くの素粒子実験によって高い精度で検証されており、現代の素粒子物理学の基盤となっている。しかし、まだ説明できない現象も残されている。
注2)重いクォークの対称性:
対称性とはある変換を加えても物理法則が変わらない性質のこと。たとえば粒子の種類を入れ替えたり、向きを反転させたりしても結果が変わらない場合、その物理法則には「対称性がある」と言う。素粒子物理では、この対称性が理論の構築や予言において非常に重要な役割を果たしている。ボトムクォークやチャームクォークなど、質量が非常に大きいクォークでは、運動の違いによる影響が小さくなり、性質が共通化されることがある。この性質を「重いクォークの対称性」と呼び、異なる粒子間での崩壊特性を結びつける理論的な手がかりとなる。
注3)レプトンフレーバー普遍性の破れ:
電子、ミュー粒子、タウ粒子の3種類のレプトンは、本来どれも同じようにふるまうと考えられており、この性質を「レプトンフレーバー普遍性」と呼ぶ。しかし近年、一部の粒子の崩壊において、この3種のレプトンが出現する割合に違いがみられている。これは、標準理論が予想するふるまいと異なるため「ルールの破れ」として注目されている。
注4)ボトムクォーク:
標準模型に含まれる6種類のクォークのひとつで、質量が重いという特徴を持つ。「b」(小文字)と表記する。B中間子やΛbバリオンなどの粒子に含まれ、これらの粒子の崩壊を詳しく調べることで、素粒子理論の検証や標準模型を超える「新物理」の探索に役立つとされている。
注5)ボトムクォーク(b)がチャームクォーク(c)とタウ粒子(τ)、ニュートリノ(ν)に崩壊する現象:
b→cτv崩壊。この過程の観測結果が標準模型の理論予測と大きくずれており、未知の粒子や新しい力の存在を示唆する「新物理」の可能性として注目されている。
注6)Λbバリオン(ラムダ・ビー・バリオン):
ボトムクォークを含む3つのクォークで構成される粒子。寿命が比較的長く、特定の崩壊パターンを詳細に測定できるため、標準理論の検証や新物理の兆候を探る上で重要な役割を果たす。
雑誌名: Journal of High Energy Physics
論文タイトル: Heavy Quark Symmetry Behind b -> c Semileptonic Sum Rule
著者: Motoi Endo, Syuhei Iguro, Satoshi Mishima, Ryoutaro Watanabe
DOI: 10.1007/JHEP05(2025)112