TOP   >   医歯薬学   >   記事詳細

医歯薬学

2023.04.24

「目が見えなくなると触覚が鋭敏になる」メカニズムを解明

国立大学法人 東海国立大学機構 名古屋大学大学院医学系研究科分子細胞学分野の客員研究者 橋本明香里(公立陶生病院 研修医:神戸大学医学部卒業)、和氣弘明 教授の研究グループは、早期視覚喪失がもたらす触覚機能向上のメカニズムを明らかにしました。
私たちは目や手、耳といった様々な感覚情報を用いて自分の周囲の状況を感知します。視覚情報は後頭部にある視覚野で、触覚(体性感覚)は頭頂部にある体性感覚野で、聴覚情報は側頭部にある聴覚野で、といったように、それぞれの情報はそれぞれの「専門部位」で主に情報処理されます。では目が見えなくなった人では視覚野は機能しなくなってしまうのか、というとそうではありません。視覚情報を失った視覚野は、代わりに他の種類の感覚情報、つまり聴覚や体性感覚情報を処理するようになり、その結果、聴覚や触覚が鋭敏になる、という「異種感覚間可塑性」と呼ばれる現象が生じます。この現象は 1990 年代に提唱され、広く知られています。先天盲のヒトが点字を読む時は、それが触覚にも関わらず体性感覚野のみならず視覚野が活性化され、実際に見る感覚で字を読むことが示唆されています。しかし、その詳細なメカニズムはまだわかっていませんでした。本研究グループは、脳内のグリア細胞の一つであるミクログリアに着目してこのメカニズムの一端を解明しました。
私たちの脳は 1000 億個以上の神経細胞と、その約 10 倍もの数のグリア細胞(注1)から成り立っています。神経細胞は電気信号を用いて情報伝達や情報処理を行い、グリア細胞は神経回路の形成や情報伝達の調節、神経細胞への栄養の運搬などの役割を担っています。中でもグリア細胞の一つ、脳内の免疫細胞として知られるミクログリアは、常に突起を進展退縮させながら、神経細胞同士の接続部「シナプス」(注2)を監視、形成、除去することで神経回路の形成や精緻化、障害時の再編成に寄与する機能を持っていることが近年知られてきました。とりわけミクログリアの興奮性シナプスに対する作用はよく知られ、発達期および障害からの回復期ではこれらの形成・除去を行うことで機能的な神経回路を形成することが知られています。その一方で抑制性シナプスへの関与は未だ解明が進んでいません。
本研究では 2 光子生体イメージング(注3)、電子顕微鏡(注4)、電気生理学的手法(注5)、分子生物・遺伝学的手法などの様々なアプローチ方法を用いて、視覚遮断後のマウスの高次視覚野(注6)がヒゲ刺激による体性感覚情報に応答し、ヒゲ感覚識別能力が向上するメカニズムを明らかにしました。生まれて間もない時期に視覚遮断を受けると、マウスの高次視覚野では、ミクログリアによる抑制性シナプスの除去が亢進し、潜在的に存在していた体性感覚野から高次視覚野への伝達経路の抑制システムが解き放たれることで、高次視覚野の神経細胞がヒゲ刺激に応答するようになり、さらにそれが機能向上につながることを解明しました。またこの際にミクログリアが、細胞の外に存在する細胞外基質(注7)と呼ばれる足場をマトリックスメタロプロテアーゼ9(注8)という分子によって溶かすことで抑制性シナプスを剥がすという機序を明らかにしました。つまり、ミクログリアがストッパーを外すことによって脳が「専門外」の情報を処理するようになる、というイメージです。
近年、健常人においても視覚だけでなく聴覚や体性感覚刺激が高次視覚野の神経活動に影響を及ぼしうることが知られており、高次視覚野は感覚統合の観点でも注目されています。今回の研究で高次視覚野における体性感覚情報処理システムとミクログリアによる制御が解明されたことで、脳の多種感覚情報統合・分別にかかわる新たなメカニズムの提唱にもつながる可能性があります。さらに自閉スペクトラム症(注9)では抑制性シナプスの減少や感覚統合の障害が報告されており、こういった精神神経疾患での新たな治療ターゲットにもなりえることが示唆されます。
尚、本研究は大阪大学大学院生命機能研究科心生物学研究室の八木健 教授、足澤悦子 助教、特別研究員 河村菜々実、自治医科大学医学部解剖学講座組織学部門の大野伸彦 教授の協力および、New South Wales 大学の Andrew J Moorhouse 博士、マウントサイナイ医科大学のAnne Schaefer 博士との国際共同研究によって行われました。本研究成果は、2023 年 4 月21 日(金)付で米国科学誌「Cell Reports」にオンライン掲載されました。

 

【ポイント】

○ 先天的に視覚遮断されているマウスの高次視覚野は、体性感覚刺激に対する神経活動応答が増加し、その結果体性感覚の機能が向上する
○ 生理的に存在する体性感覚野から高次視覚野への情報伝達経路を抑制するシステムをミクログリアが除去することで、視覚遮断後の高次視覚野の体性感覚に対する神経応答の増加がもたらされる
○ この抑制システムの除去は、ミクログリアがマトリックスメタロプロテアーゼ9により細胞外基質を溶かし、抑制性シナプスを剥がすことで誘引される

 

◆詳細(プレスリリース本文)はこちら

 

【用語説明】

(注1)グリア細胞:脳内の細胞は、神経細胞とグリア細胞に分類される。グリア細胞は神経細胞の隙間を埋める糊やセメントのような存在だと考えられていたが、近年、神経回路の形成や情報伝達の調節、神経細胞を栄養するなどの多彩な役割を持つことが明らかになっている。グリア細胞には大きく分けて、ミクログリア、アストロサイト、オリゴデンドロサイトがある。
(注2) シナプス:神経細胞間や筋繊維に形成される、シグナル伝達などの神経活動にかかわる接続部位。神経細胞同士はシナプスで結合し、シナプス前終末から放出された神経伝達物質がシナプス後部の受容体に結合することで化学的な信号伝達が行われる。脳にはグルタミン酸を介して細胞を興奮させる作用を持つ興奮性シナプスと、GABA を介して細胞の活動を抑制させる抑制性シナプスが存在する。
(注3)2光子生体イメージング:2光子顕微鏡を用いて、生きたままの動物の神経細胞の活動を観察する方法。2光子顕微鏡は赤外線レーザーを使用するため組織透過性が高く、非侵襲的に生体深部を観察できるという特性を持つ。
(注4)電子顕微鏡:加速した電子を試料に照射することにより、高倍率での観察が行える顕微鏡。本研究ではナノメートルレベルの分解能でX,Y,Z の広視野のイメージングが可能なシリアルブロックフェイス走査電子顕微鏡法を用い、高解像度の三次元画像を取得した。
(注5)電気生理学的手法:神経、脳、筋肉、心臓などの組織または細胞の電気的性質と生理機能との関係を解明する手法。本研究で用いた脳スライスの paired recording(dual whole-cell clamp recording)では、単一細胞から単一細胞へのシナプス伝達の特性を詳細に解析することができる。
(注6)高次視覚野:目から入った視覚情報は、物体像の輪郭の抽出などが行われる大脳皮質の一次視覚野に伝えらえる。一次視覚野を経由した視覚情報は、高次視覚野において色の処理や物体像に含まれる図形特性の検出など、より高度な処置が行われる。マウスの大脳皮質視覚野には9つの高次視覚野が存在している。
(注7)細胞外基質(細胞外マトリックス, ECM):細胞と細胞の間に存在し、組織の支持体となる。ヒアルロン酸やコンドロイチン硫酸プロテオグリカンが代表的な細胞外基質である。近年、細胞外基質がシナプス新生や可塑性の制御といった機能を持っていることが報告された。
(注8)マトリックスメタロプロテアーゼ9:細胞外基質タンパク質のリモデリングの役割を持つ酵素の一つ。脳ではミクログリアやマクロファージによる遺伝子発現がメインを占めている。
(注9)自閉スペクトラム症(ASD;Autism Spectrum Disorder):社会的コミュニケーション障害と常同行動・限定的興味行動の2つを中核症状とした神経発達障害。ASD 病態の原因のひとつとして、神経細胞のシナプス機能の異常、特に興奮性―抑制性のバランス(E/I balance)の変質が考えられている。

 

【論文情報】

掲載誌名:Cell Reports
論 文 タ イ ト ル : Microglia Enable Cross-Modal Plasticity by Removing Inhibitory Synapses
著者・所属
Akari Hashimoto1, Nanami Kawamura2, Etsuko Tarusawa2, Ikuko Takeda1, Yuki Aoyama1, Nobuhiko Ohno3,4, Mio Inoue1, Mai Kagamiuchi1, Daisuke Kato 1, Mami Matsumoto5,6, Yoshihiro Hasegawa1, Junichi Nabekura7,13, Anne Schaefer8,9, Andrew J Moorhouse10, Takeshi Yagi2, and Hiroaki Wake1,11,12,13,14*
(*Corresponding author)


1. Department of Anatomy and Molecular Cell Biology, Nagoya University Graduate School of Medicine, Nagoya, 466-8550, Japan.
2. KOKORO-Biology Group, Laboratories for Integrated Biology, Graduate School of Frontier Biosciences, Osaka University, Osaka, 565-0871, Japan.
3. Department of Anatomy, Division of Histology and Cell Biology, Jichi Medical 8 University, Tochigi, 329-0498, Japan.
4. Division of Ultrastructural Research, National Institute for Physiological Sciences, Okazaki, 444-8585, Japan.
5. Section of Electron Microscopy, Supportive Center for Brain Research, National Institute for Physiological Sciences, Okazaki, 444-8585, Japan.
6. Department of Developmental and Regenerative Neurobiology, Institute of Brain Science, Nagoya City University Graduate School of Medical Sciences, Nagoya, 467-8601, Japan.
7. Division of Homeostatic Development, National Institute for Physiological Sciences, Okazaki, 444-8585, Japan.
8. Center for Glial Biology, Department of Neuroscience and Psychiatry, Friedman Brain Institute, Icahn School of Medicine at Mount Sinai, New York, 10029-6574, US.
9. Max Planck Institute for Biology of Ageing, Cologne, 50931, Germany
10. School of Biomedical Sciences, The University of New South Wales, Sydney, 2052, Australia.
11. Division of Multicellular Circuit Dynamics, National Institute for Physiological Sciences, Okazaki, 444-8585, Japan.
12. Center for Optical Scattering Image Science, Kobe University, Kobe, 657-8501, Japan.
13. Department of Physiological Sciences, Graduate University for Advanced Studies, SOKENDAI, Hayama, 240-0193, Japan.
14. Core Research for Evolutional Science and Technology, Japan Science and Technology Agency, Saitama, 332-0012, Japan.

 

DOI:10.1016/j.celrep.2023.112383

 

 

English ver.
https://www.med.nagoya-u.ac.jp/medical_E/research/pdf/Cel_230422en.pdf

 

【研究代表者】

大学院医学系研究科 和氣 弘明 教授
https://www.med.nagoya-u.ac.jp/cel-bio/index.html