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総長のことば

平成29年度学部入学式祝辞

 

新入生の皆さん、名古屋大学への入学、おめでとうございます。皆さんは、大学受験という厳しい試練を乗り越えて、名古屋大学の一員となりました。本日ここに、新学部生2,181名を、新しい仲間として名古屋大学に迎えることができたことを、総長として、心から嬉しく思います。皆さんは今日から、未来への希望に燃えて、この名古屋大学での生活を始めます。大学での生活は皆さんが過ごしてきた高校までの生活の単純な延長ではありません。名古屋大学は、皆さんが勉学や様々な活動を通して、多くの人に出会い、成長し、最終的には名古屋大学の教育目標である「勇気ある知識人」に脱皮するために、チャンスをつかむ場であり、チャレンジする場であります。名古屋大学でのキャンパスライフが、皆さんにとって実り多いものとなるよう、総長として、また、先輩として、皆さんに歓迎と激励の言葉を贈りたいと思います。

 

「大学生活はこれまでの生活とは大きく異なり、皆さんが飛躍的に成長を遂げる節目である」ということについて、話したいと思います。皆さんは、これまでの学校生活の中で熱心に勉学に励み、すでに多くの知識を身に着けてきたことと思います。現代はまた、インターネットが発達し、その気になればどんな情報も瞬時にして手に入る時代です。これまでとは比べ物にならないくらいの情報があふれている時代であるといえます。しかし、これらの情報はあくまで情報であり、実態を伴った現実世界、リアル・ワールドではありません。情報それ自体は、自分自身とは離れた仮想の存在であるといえます。私が皆さんに名古屋大学で学んで欲しいと思うことは、「自分の目で見、耳で聞き、身体で体験し、多様な人達と議論をしながら、社会の様々な課題を自分自身の頭で考えて理解し、課題解決の道筋を明確にしようと努力すること、そして、また、そのような習慣を身に着けること」です。

 

名古屋大学のキャンパスでは、皆さん一人ひとりが自律的に成長していくための様々な環境が整っています。施設や設備だけでなく、名古屋大学は多様性に富むキャンパスづくりを目指しています。皆さんがこれからの人生を歩んでいくうえで大切な、様々な人との出会いの場として、多様性、ダイバーシティーを特に重視しています。キャンパスの多様化の柱は、ずばり、世界やアジアと結ぶ国際化と女性の活躍促進です。名古屋大学は早い時期から、欧米の大学はもとより、アジア諸国との交流に力を注いでおり、留学生の受け入れを積極的に行ってきました。キャンパスの学生の8人に一人は外国からの留学生です。また、女性の活躍促進のための様々な取り組みや、社会や産業界との連携も着実に進めています。名古屋大学から海外に留学する学生も年々増加し、昨年度は短期長期あわせて1,000名を超える学生が海外で学ぶ機会を得ています。名古屋大学の学生は、ややもすればおとなしい、と言われがちですが、近年の学生の活動性や積極性は高まっており、キャンパスの雰囲気が明らかに変わってきています。「もう名大生をおとなしいとは言わせない」、というのが私の考えです。

 

さてここで、名古屋大学の歴史と未来を語ってみたいと思います。名古屋大学の源流は、1871年(明治4年)に創設された仮医学校・仮病院にさかのぼります。この年を名古屋大学の創基としています。長い歴史の中で、名古屋大学は幾多の素晴らしい指導者を輩出しました。「名古屋大学歴代総長略伝」によりますと、1881年から83年にかけて名古屋大学の前身である愛知医学校の校長を務めたのが後藤新平です。後藤新平は幕末の鳥羽伏見の戦いから函館戦争に至る、いわゆる戊辰戦争で、明治新政府と敵対した水沢藩士であったため、極貧で苦学を強いられましたが、医師となり、弱冠24歳にして愛知医学校校長兼愛知病院長を務めました。後藤新平は、当時、全国的にみれば立ち遅れていた愛知病院の改革を断行しました。恩師である外国人医師のローレツの帰国に際し、後任を超高額サラリーの外国人医師ではなく、当時では数少ない貴重な日本人医師の雇用に切り替え、カリキュラムを充実させ、人材育成に大いに貢献しました。これにより、愛知医学校は全国的にも有名になり、1883年には全国でも数少ない甲種医学校、即ちトップレベルの大学に選定され、今日の名古屋大学の発展につながっています。後藤新平の残した言葉の中に、「金銭を残して死ぬ者は下、仕事を残して死ぬ者は中、人を残して死ぬ者は上である」というのがあります。強烈に人材育成の重要さを思っていたことが良くわかります。この考え方は今も名古屋大学で受け継がれていると思います。後藤新平はまた医師として、果敢な行動に出ることもありました。すなわち、1882年に岐阜で自由党党首の板垣退助が暴漢に襲われる事件がありました。この時、政府ににらまれるのを恐れて誰もが尻込みする中で、愛知病院の病院長であった後藤新平が駆けつけて治療をし、一命をとりとめた話はあまりにも有名です。後藤新平はその後、伝染病対策などの衛生行政に転じ、さらに国の要職を歴任するのですが、とにかく計画立案が好きで、大きな構想を打ち上げる人物として知られていたようです。構想するだけではなく、自ら先頭に立って実現に取り組んでいます。彼はこんな言葉も残しています。「妄想するよりは活動せよ。疑惑するよりは活動せよ」。この言葉は今日の我々にも、通じるのではないかと思います。後藤新平は、知略と行動する勇気を兼ね備えたリーダーであったといえます。「リーダーとしての使命を果たすために信念を貫く」という高い志、この気風は今も名古屋大学に受け継がれていると思います。

 

さて、名古屋大学は1939年に最後の帝国大学になりましたが、間もなく終戦を迎え、極めて厳しい状況におかれました。しかし多くの先輩たちが、地元政財界の強力な支援も受けて、名古屋大学を、地方大学から国の拠点大学へ、そして世界有数の大学へと飛躍させるべく献身的に活動しました。その結果、今日では、名古屋大学は日本を代表する大学の一つになっています。名古屋大学は特に21世紀に入り、大きく花開きました。学術研究の面では、21世紀に入ってからノーベル賞を受賞した日本人16名のうち6名が名古屋大学関連の研究者であり、これは世界的に見ても特筆すべき事実です。その一方で、社会に飛び出した卒業生は、産業界を中心に素晴らしい活躍をされています。その中には、本日ご来賓としてお招きしておりますトヨタ自動車株式会社名誉会長で名古屋大学全学同窓会会長の豊田章一郎様はじめ、現代日本の経済と社会をけん引しておられるリーダーを、綺羅星のごとく輩出しています。これらの先達は、皆さんにとって良い目標であり、ロールモデルとなるでしょう。

 

世界は今、多様な価値観や異文化が交錯し、21世紀に入ってからは、これまでの常識では想像できなかった、世界を揺るがす大事件が次々に起こっています。また、我が国では、世界でも類をみない超高齢社会がすでに到来しており、国の将来に対する不安が広がっています。国の内外で、解決すべき課題は山積しています。皆さんには名古屋大学でのキャンパス生活を通じて、それぞれの領域の勉学に励み専門性を高めるとともに、高い志と幅広い視野を持ち、多様性を理解して受け入れる広い心、そして物事を動かしていくリーダーシップを身に着け、人類的な課題と向き合い、果敢に挑む人材、すなわち「勇気ある知識人」に成長することを、切に願っています。皆さんが名古屋大学で過ごすこれからの時間は、まさに自分を鍛えて大きくする絶好のチャンスです。是非とも、勇気と希望を持って前に進んでください。名古屋大学での学生生活が皆さんにとって、実り多く充実したものになるよう、強い願いを込めて、私からの祝辞といたします。本日は本当におめでとうございます。