2025.12.24
- 大学生活全般
日本史学研究室旅行に行ってきました!
はじめに
みなさんお久しぶりです!文学部2年の石橋です。
今回は先日私が所属する日本史学研究室が実施する研修旅行に参加してきた体験や感想を共有したいと思います。
日本史学研究室では年に一度、院生や先生方も参加して各地の文化財や歴史施設を実際に訪問して現物を見て学びを深めるという意義のもと研究室旅行が行われています。
今回は滋賀へ1泊2日で行きました。強制参加ではないのですが、同じ学科の人達や普段あまり交流の機会がない先輩方や院生の方々とも話ができる貴重な機会である上に、私自身、滋賀は通過するだけだったのでとても興味があり参加しました。結果として多くのことを学べたほか、同期との仲も深まった良い旅行だったと感じています。

1日目
初日は渡岸寺観音堂(向源寺)、竹生島、菅浦を訪れました。
まず、渡岸寺観音堂には国宝になっている十一面観世音菩薩像があり、これは日本にある十一面観音7体のうち最も美しいとされ日本彫刻の最高傑作とも称されています。戦国時代には姉川の戦いによってお堂が消失してしまうも村人らが観音像を避難させたことで損傷を免れ、その所以から火除けのご利益があると信仰されています。
実際見てみて、細かなところまで彫りがなされていて優雅な印象を受けました。
その後、竹生島に向かいました。竹生島は琵琶湖に浮かぶ無人島で国宝の宝厳寺唐門や都久夫須麻神社などパワースポットとしても有名な観光地です。
フェリーで向かいましたが、日本一の湖ということもあって果てしなく広く感じ湖の上を走ってるのが変な感覚でした。
都久夫須麻神社では、弁財天や白巳など4柱の神が祀られており、中でも龍神拝所で行う土器(かわらけ)投げが有名です。土器に願い事を書き、突き出た宮崎鳥居に投げ入れるというもので上手く入れば願いが叶うとされています。
今回2年生は12人参加しましたが誰も入れられず、そう簡単には叶えてくれないのだなと痛感しました。
そして最後に菅浦という琵琶湖の北端にある港町へ向かいました。ここは奈良時代に起こった恵美押勝の乱にて敗北した淳仁天皇が住んでいたとされ、須賀神社の裏手には淳仁天皇の御陵という塚が残っています。奥琵琶湖という地域にあたり、フィヨルドのような地形が美しく重要文化的景観に指定されています。歴史的には鎌倉時代から明治時代にかけて村落の様子が記された菅浦文書が国宝となっています。須賀神社は天皇陵の伝説があるだけあって、厳かでただならぬ雰囲気を感じました。想像より気温が低く寒かったですが、海辺を歩くと古き良き港町を感じられて懐かしい感覚でした。

2日目
2日目は西明寺、滋賀大学経済学部附属史料館、金剛輪寺、百済寺を訪れました。
西明寺・金剛輪寺・百済寺は総称して湖東三山といい、どれも天台宗の寺院で紅葉の名所として知られています。私が行った時はほとんど葉が緑で紅葉していなかったのが残念でした。
まず西明寺ですが、平安時代初頭三修上人が仁明天皇の勅願によって開創した古刹で一度は織田信長によって戦火に遭うも本堂や三重塔は無事に残り、現在では紅葉と天然記念物である不断桜のコントラストが評価され、米CNNの記事にて「日本での最も美しい場所31選」に選出されました。
本堂は国宝第1号に指定され本尊薬師如来を始め、二大天王、十二支の守り仏である十二神将と重要文化財が多数安置されており、そのインパクトは鮮烈でした。また名勝庭園も隅々まで手入れがなされており世俗の忙しさを忘れさせてくれる景観でした。
次に滋賀大学経済学部附属史料館を訪問しました。ここでは所蔵されている菅浦文書の原本を閲覧したり、近江商人の暮らしぶりについての展示などを見ました。
菅浦文書は中世武士社会や庶民生活の実態、特に自治組織である「惣」の成立過程が詳細に分かることや権力者側ではなく庶民側が残した公文書という点から、非常に貴重で重要な史料となっています。
私は秋学期から「くずし字」の演習を受けているのですが、実際に生の史料を見てみてある程度読めたので、着実に身についていることを実感できてよかったです。
次に金剛輪寺へ向かいました。金剛輪寺は奈良時代聖武天皇の勅願で行基によって開山され鎌倉〜室町時代に最盛を極め代表的な和様建築で国宝の本堂や重要文化財三重塔、二天門が建立されました。一時期はやはり信長の襲来に遭うものの当時の住職の機知によって難を逃れ以降、現在まで多くの篤い信仰を集めています。特に参道に鎮座している千躰地蔵尊は手入れが行き届いていて信仰心の深さを感じられました。
庭園内の紅葉は「血染めのモミジ」を称され圧巻とのことなので機会があればまた行ってみたいです。
最後に百済寺に行きました。百済寺は飛鳥時代聖徳太子の勅願で建てられた近江最古の仏教寺院で、やがて「天台別院」と呼ばれるほど勢力を拡大させるものの1573年の信長の焼き討ちによって全山が焼失してしまい、現在の寺院は江戸時代に再建されたものです。
宣教師ルイス・フロイスが「地上の天国」と称したように景観が整備されていて美しく山から見える市内の眺望は歴史の壮大さを感じさせてくれました。
旅行中4人の先生方が適時解説もしてくださってより理解が深まり、こうして充実した2日間の全日程を終えました。
おわりに
いかがでしたか?私は今回の旅行を通して普段の授業では得られないであろう学びを多く得られたと感じました。事前情報なしで訪れるよりもある程度日本史を学んだ上で訪れることでより深い理解や気づきがあり、また同じ研究室の人たちと一緒にまわることで感想や情報を共有できるという点もこの研究室旅行の意義だと思いました。
日本史学研究室ではこの他にも演習や授業外で現地調査に赴く機会が多々あります。
歴史学は史料本位の学問であるので可能な限り現物に触れて能動的に疑問をもつことが大事だというスタンスをとっています。実際私も歴史の舞台に降り立ったことで学びが印象的なものとなりました。
皆さんも文理問わず実体験することの大切さを理解してもらえたら執筆者として幸いです。ご精読ありがとうございました。
Profile
所属:文学部2年生
出身地:静岡県
出身校:飛鳥未来きずな高等学校