2026.06.02
- 大学生活全般
大学で学ぶ「発達心理学」の世界
「発達心理学」という言葉を聞いて、皆さんはどのような学問を想像するでしょうか。おそらく多くの人が、「赤ちゃんが言葉を話すようになるまでの過程」や「子どもが大人になっていくプロセス」を観察する学問だと考えるでしょう。確かに、かつての発達心理学は子どもを中心とした学問でした。しかし、現在の心理学においては、人間がお母さんのお腹の中に命を宿した瞬間から、最期の死を迎えるまでの生涯すべてを研究対象とする「生涯発達心理学」という考え方が主流となっています。
人間は、20歳前後で身体的な成長が止まったからといって、心の発達まで完了するわけではありません。就職、結婚、子育て、親の介護、そして自分自身の老いなど、人生のステージが進むごとに、私たちは常に新しい環境や未知の課題に直面し、変化し続けています。この学問は、私たちがその生涯にわたる変化にどのように適応し、どう生き抜いていくのかを解き明かす、非常にダイナミックな学問なのです。
大人になっても続く成長:獲得と喪失のダイナミクス
ドイツの著名な心理学者であるP. バルテスは、人間の発達を単なる「右肩上がりの成長」や、高齢期の「衰え」として捉えることを明確に否定しました。彼は発達を、「獲得」と「喪失」のダイナミクス(力学)であると定義しています。例えば、歳を重ねると、走るスピードや瞬間的な記憶力の一部は低下するかもしれません。しかしその一方で、過去の失敗から学んだ経験に基づく知恵や、複雑な人間関係の中で感情を穏やかにコントロールする力を手に入れます。このように、人生のどの時期においてもプラスとマイナスの両面が存在し、心や脳は環境に応じて柔軟に変化し続ける力、すなわち「可塑性(かそせい)」を持っています。
また、精神分析家のE.H. エリクソンは、人生を8つの段階に分け、それぞれの時期に乗り越えるべき心理的なテーマを「発達課題」と呼びました。中高生から大学生の時期には「自分とは一体何者なのか」という問いに向き合うことになりますし、中年期になれば「自分の経験をいかに次世代に伝えていくか」という課題に直面します。私たちは一生を通じて、これらの課題に悩み、乗り越えながら心を発達させていく存在なのです。
「見えない心」をデータで測る科学的アプローチ
心理学に対して、捉えどころのない人間の感情を直感や想像で読み解く文系学問というイメージを持つ人もいるかもしれません。しかし、心理学は非常に科学的で実証的なアプローチを重視します。主観や思い込みを排除し、厳密な手続きや統計的な手法を用いて「心」をデータ化するのです。
例えば、言葉を話せない赤ちゃんが世界をどう見ているのかを調べるために、「観察実験」が行われます。その一つが「馴化・脱馴化法(じゅんか・だつじゅんかほう)」です。赤ちゃんに同じ猫の写真を何度も見せ続けると、次第に飽きて見なくなります。そこで次に犬の写真を見せたとき、赤ちゃんがハッとして再び画面を長く見つめたら、それは「赤ちゃんが猫と犬の形の違いを区別できている」という科学的な証拠になります。
また、人の変化を長期的に調べるためには、大きく分けて二つの手法が用いられます。一つは、同じ人たちを10年、20年と追いかけ続ける「縦断研究」です。個人の変化を正確に追えますが、時間と労力がかかります。もう一つは、20代、40代、60代など違う年齢の人たちを同じタイミングで集めて比較する「横断研究」です。こちらはすぐに結果が出ますが、例えば「スマートフォンの使いこなし度」などを比べた場合、それが純粋な年齢による変化なのか、それとも生まれた時代背景による「コホート(世代)効果」なのかを見極める必要があります。心理学者は、こうしたノイズを排除するために緻密な研究計画を立てているのです。
乳幼児期から老年期まで:人生のあらゆる変化を探求する
このように科学的な手法を用いて、私たちが人生で直面する当たり前の変化すべてが発達心理学の研究対象となります。各ライフステージには、それぞれ固有の重要なテーマが存在します。
まず乳幼児期において注目されるのが、愛着の形成です。イギリスの精神科医J. ボウルビィが提唱した「愛着(アタッチメント)理論」によれば、赤ちゃんの頃に親や養育者と結んだ「泣いたら助けてもらえる」という安心感は、その後の人生に大きな影響を与えます。この時期に築かれた人間への信頼感が土台となり、将来の友人関係や恋愛関係を構築していくとされています。
続いて、中学生から大学生にあたる青年期は、「自分は何者か、将来どう生きていくか」と深く悩む時期です。研究者のJ.E. マーシャは、この「アイデンティティ(自我同一性)」の確立プロセスを分類しました。様々な選択肢に悩みながらも色々なことに挑戦している状態を経て、自分なりの価値観や進路を決定していくプロセスは、青年期の最も重要なテーマと言えます。
さらに、青年期を過ぎた後の老年期における知性の変化も重要な研究テーマです。心理学者のキャッテルとホーンは、人間の知能を二つに分けました。計算スピードや新しいことを暗記する「流動性知能」は20代をピークに低下しやすいものの、語彙力や経験の蓄積による「結晶性知能」は高齢になっても伸び続けることを示しました。老いは決して能力の低下だけを意味するものではないのです。
そして、これらの発達は個人の内面だけで起こるわけではありません。U. ブロンフェンブレンナーの「生態学的システム理論」が示すように、人間は家庭や学校という直接的な環境から、親の職場のストレス、さらには国の法律や文化といった大きな社会環境まで、様々なシステムと影響し合いながら成長します。心の発達を理解するには、その人が生きている社会そのものを理解する必要があるのです。
発達心理学を学ぶ意義:自分を客観視し、社会を良くする
この学問を学ぶことは、高校生や大学生の皆さんにとって、そして社会全体にとって大きな意義を持ちます。
第一に、自分自身や他者を客観的に見つめる「メタ認知能力」が育つという点です。例えば、進路や友人関係で深く悩んだとき、心理学を知らなければ「自分はダメな人間だ」「性格が悪いからだ」と自分を責めてしまいがちです。しかし、それが「青年期特有のアイデンティティの葛藤である」と理論的に理解できれば、過度な自責から解放され、一歩引いた視点から冷静に悩みに向き合うことができます。
第二に、社会の課題をデータで解決する基盤になる点です。現代の教育や医療、福祉の現場では、個人の経験や勘だけでなく、科学的根拠に基づいた「エビデンスに基づく実践」が求められています。いじめ問題への対応、不登校への支援、高齢者の生きがいづくりなど、社会を良くするための具体的なサポートを考える上で、発達心理学の知見は欠かせません。
発達心理学は、単なる知識の暗記ではなく、私たちが人生をより良く生きるための「実学」です。心の発達プロセスを科学的に理解することは、自分自身の人生の質や、心身ともに満たされた幸福な状態である「ウェルビーイング」を高め、同時に他者への深い思いやりを育む一生の財産となるはずです。これから皆さんが歩む長い人生の道しるべとして、ぜひこの視点を活用してみてください。
Profile
所属:情報学研究科 心理認知科学専攻 修士1年
出身地:岐阜県
出身校:岐阜県立関高等学校