名大生ボイス

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大学生活全般

2016.02.05

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元宇宙飛行士山崎直子さん講演会

生命農学研究科・博士課程教育リーディングプログラム(リーディング大学院)「ウェルビーイング」プログラム学生の小川高広です。今日はリーディング大学院の一つである「フロンティア宇宙開拓リーダー養成プログラム」主催で、2月5日の午後に平田・坂田ホールで開催された、元宇宙飛行士山崎直子さんの講演会についてお伝えします。

 

講演では、宇宙開発の歴史と今後の宇宙開発について、また山崎さん自身の体験をもとに宇宙までの道のりや宇宙での生活などを中心に話されていました。

 

日本人で初めて宇宙へ行ったのはテレビ局員の秋山さんで、ソ連の宇宙船で宇宙に行きました。このケースは極めてまれで、宇宙へ行った秋山さん以外の日本人宇宙飛行士(10名、うち女性2名)はJAXA(宇宙航空研究開発機構)を通じて宇宙へ行っています。世界では今まで35か国から約550名が宇宙へ行きましたが、宇宙飛行船を保有している国はアメリカ、ロシア、中国の3か国のみ。ロケットと衛星の打ち上げを行った国は10か国以上、他国に委託して打ち上げた場合も含め、50か国以上が衛星のみの打ち上げを行って来たそうです。日本では1970年に我が国初の人工衛星「おおすみ」が打ち上げに成功して以来、40機近くの衛星や探査機を地球周回軌道や惑星間空間に送り出し、積極的に宇宙の平和利用を進めています。

 

ところで、宇宙開発の歴史は冷戦を背景とした「競争」から始まりました。ソ連の人工衛星打ち上げに刺激されたアメリカは月に有人飛行船を飛ばし、お互いを意識した宇宙開発競争が進んでいきました。そのような環境下で1984年に国際宇宙ステーション(ISS)の計画がアメリカから打ち出され、1985年に日本やヨーロッパなどいわゆる西側諸国がその計画に参加しました。その当時、日本の指導者は中曽根首相、アメリカはレーガン大統領、イギリスはサッチャー首相の時代でした。新しい宇宙開発の時代が到来かと期待されていたさなか、1986年にスペースシャトル「チャレンジャー号」が爆発事故を起こし、宇宙開発関係者に大きな衝撃を与えました。宇宙を夢見ていた山崎さんも大きなショックを受けましたが、彼らの遺志を引き継ごうと宇宙への想いが大きくなった、とその当時を振り返りました。その後、冷戦終結とともに、宇宙開発は今までの激しい競争時代から国際宇宙ステーションにロシアが参加するなど時代とともに変化していきました。

 

山崎さんは宇宙戦艦ヤマトなどのアニメに影響を受け、宇宙に興味を持ったそうです。大学では宇宙工学を学び、努力の末に宇宙飛行士としての切符を勝ち取りました。しかし、実際に宇宙へ行くまでには、約10年におよぶ厳しい訓練に耐えなければなりませんでした。訓練では閉鎖された空間での生活、宇宙で行う実験など多岐に渡りました。20メートルの宇宙船外のアームを動かす訓練では、操作が非常に難しかったそうです。またロシアでの緊急事態を想定した訓練や、ロッキー山脈の厳しい環境下で一日10キロを歩き100キロを踏破する訓練などもあったそうです(山での10キロは想像以上にきつく、、ストレスの多い訓練だったそうです)。これら訓練では、厳しい中でもお互いを助け合うこと、自分を失わず、自分の感情をコントロールすること、チームのメンバーへの指導力などリーダーシップを向上させる訓練など宇宙での厳しい環境を想定し、任務が全うできるスキル習得などが行われました。

 

そのような数多くの訓練の中でも山崎さんが特に印象的だったものの一つに、飛行機内で行われた無重力訓練があります。飛行機の中で20-30秒間、飛行機を落下させて、無重力を体験させるものだそうです。非常にエキサイティングな体験でしたが、訓練後は気持ちが悪くて大変だったそうです。また長期にわたる訓練期間中、本当に宇宙へ行けるのかと心配になり、モチベーションに影響を与えることもあったそうです。そのような時は初心に立ち返って乗り越えたそうです。

 

山崎さんは訓練に励む一方で、ミスを防ぐためにコミュニケーションを多くとることの重要性を感じたそうです。日本人同士ならば言葉を交わさなくても雰囲気でわかることもあります。しかし、受けた教育や文化が違う外国の人々と一緒に作業を行う場合では、メンバーとコミュニケーションが非常に重要になってきます。頻繁にコミュニケーションを取らなければお互いに意思疎通ができず、小さなミスが重大事故につながります。山崎さんは意識的にコミュニケーションを何度も取るようにしたそうです。日本人からすると多過ぎると思うぐらいがいいそうです。

 

厳しい訓練を乗り越え、山崎さんは2010年4月5日にスペースシャトルの打ち上げで念願の宇宙へ旅立ち、4月20日に無事に帰還されました。その間の宇宙での生活は窮屈なもので、いろいろなところに機材や物資が置かれており、自由に動ける場所はなかったそうです。ペンなど浮遊する可能性のあるものは全てマジックテープで固定し、宙に浮かばないようにするなど宇宙ならではの工夫もあったそうです。また洗濯ができないので、同じ服を長期にわたり着用しなければなりません。臭いやムレなどを軽減する特別な服を宇宙では着用し、今ではそれらが市販の衣服にも応用されています。また宇宙での楽しみの一つが食事です。しかし、バリエーションが乏しく飽きてきます。そこでレタスなどを宇宙船内で栽培する試みを行い、新鮮な野菜を入手したそうです。加えて、宇宙では水が非常に貴重で、トイレの水も船内で高度処理し、飲用します。宇宙船内での時間は世界標準時間であるグリニッジの時間を使用します。一日に地球を何周もする宇宙船らしい話でしたが、地上では考えにくい生活が宇宙では行われているようで、聞いている方としてはどれも興味深かったです。

 

国際宇宙ステーションは巨大な施設です。縦横102メートル、73メートルもあり、これはサッカー場の大きさぐらいのサイズです。必要物資を積んだコロンビア号が2003年に事故を起こしたため、ステーションの推進計画は一時滞りましたが、物資の輸送などを行う「こうのとり」(HTV)の活躍もあり、作業は進んでいます。また宇宙ステーションの電源には8枚のソーラーパネルが使用されています。パネルの故障も過去にありましたが、その際は宇宙飛行士が船外に出て修理しました。蓄電池などは日本製が使われ、「こうのとり」やステーションの一部である実験棟「きぼう」など、国際宇宙ステーションの管理・運営に貢献しています。

 

現在世界中で宇宙に関する研究や宇宙開発プロジェクトなどが盛んに行われています。将来、地球から宇宙まですぐに行けるSpace Elevator、火星やその他小惑星への探査など様々な計画が世界的に進められています。その中には「はやぶさ2」や「あかつき」などJAXAが既に実行しているプロジェクトもあります。またJAXAのみならず、大学や民間企業主導の宇宙開発プロジェクトもあり、今後の日本の宇宙開発にも目が離せません。

 

今回の講演会は山崎さんの貴重な経験談や宇宙開発について聞くことができ、勉強になりました。講演会の最後に山崎さんが見せてくれた宇宙から撮った写真は感動的でした。日本上空の夜の写真は信じられないほどキラキラと美しい輝きを放っていました。

 

宇宙は私たちの生活に密接にかかわっています。名古屋大学には宇宙について研究できる学科があります。工学部機械・航空工学科航空宇宙工学コースや理学部物理学科、理学部地球惑星科学科をはじめ、大学院では工学研究科、理学研究科、環境学研究科にも宇宙関連の研究室があります。またJAXAから多くの研究者の方々が講師や研究員として招へいされていて、名古屋大学と積極的な研究が進められています。宇宙について学び、研究できる大学は日本全国でも限られています。宇宙に興味がある人は自身の興味を踏まえ、情報を集めて下さい。夏に開催されるオープンキャンパスや学科・研究科が行っているイベントへの参加、大学公式ウェブサイトで、情報を集めるのもいいかと思います。また大学院進学を考えているならば、今回の講演会を主催した博士課程教育リーディングプログラム(リーディング大学院)の一つである「フロンティア宇宙開拓リーダー養成プログラム」に参加することも一つの進路かと思います。名古屋大学は全国有数の宇宙関連の研究環境が整っています。宇宙について勉強し、研究したい人はぜひチャレンジして下さい。

Profile

所属:生命農学研究科博士前期課程1年生

出身地:兵庫県